
一歩動き出したのかも そんなお話しませんか
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edit2022.09.06
一歩、いや、半歩かもしれないけれど、
ちょっと動き出したのかも
卒業とは言えない
でも、どん底でもない
動き出したら動き出したで、
親としてもいろんな思いがあって
そんなお話しませんか
みなさんの体験談を教えて下さい
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edit2022.09.06
我が家が家庭の問題が一番の要因だったと思う。被害を被ったのは子供で、仲良しの友達とも離れて転校するしか方法が無かった。本当なら転校前の学校で卒業式を迎えたかった。
○○の学校で卒業をしたかった。転校しから2か月で不登校となり、転校が問題より抱えていたストレスが問題で、転校前から家出をしたり自殺をほのめしたり、抑圧された生活が苦しくてしんどくて。私も同じ環境だったから理解できる。
意見すれば殴られる。我慢するしか方法がない環境で身を潜めて、言うとおりにするしかない人生。
未来を守る為に夫から逃げてきたけど、子供はそう簡単には未来に繋げなかった。
不登校は必然的な事だった気がします。
壁に頭を打ち付けて暴れたり、人を拒否したり、気にくわないと気持ちを爆発させたり、泣いて気持ちをぶつけてきたり、しんどかった。本当にしんどかった。
上手くは寄り添えなかったけど、出来る範囲で寄り添い、課金しても許して、お風呂や歯磨きしなくても何も言わないようにして、本来の我が子に戻る事を祈って寄り添ったつもりです。目の前真っ暗でもうこの子を支えられないって何度も思いました。
お父さんからの謝罪をずっと求めていたけど、今年に入ってから謝罪は諦める。
正月が楽しく過ごせたなら学校はまだ無理でも、勉強はしてもいいからと自分の口で言い出した。
家で勉強をしようとしたけど、喧嘩になったりわからないが意欲を失く事になって、専門家に任せた方が良いかもと子供と相談して、凹凸のある子や不登校の子達が通う塾に見学に行ってきた。子供も一緒にです。
子供が置かれている状況を否定せずに、ぶっちゃけ話をしてくれて良いからと、人を殴ってしまうから学校には行けない事。色々と話しが自分で出来て通う事になった。
1人では行けないので送迎をお願いしたけど、自宅から自分で出て来れるのか?
勉強をしても嫌だと言うのではないか?
心配をよそに自分が決めた事だからと、自分から外に出て塾に行ってくれた?
勉強も頑張ったと連絡がきて、色々な話をしてくれて安心しました。と
0から1の一歩を踏み出したと頑張ったねって思います。
不登校と摂食障害はセットだったりしますが
子供2人不登校でどん底の時期は
学校に行けないことよりも
食事もあまり食べれない痩せていく身体が
心配で辛くて…
完全復帰した上の子と、まだ不登校中の下の子。
今は、マック食べた〜い、ミスド食べた〜い
サーティワン食べた〜い
こんな当たり前のことがありがたい。
何かを食べたいっていう自分の意志意欲。
しかも買いに行けたりもする。
全日制高校不登校で通信制に転学した息子。
転学前後は、このまま一生引きこもりになるんじゃないかと心配していましたが転学して数ヵ月、最近中学時代の友達6人とカラオケに遊びに行き撮った写真をインスタに上げていました。
友達と楽しそうに生き生きとした笑顔の息子の写真はいかにも青春している高校生そのもので、今までの私の苦労も少し報われたような気持ちになりました。
先日、不登校の子や凹凸のある子に勉強を教える所に、子供と連れて行ってきた。
勉強の大切さや子供の現実を否定せず、子供のありのままを受け入れてくれ、子供を嬉しかったようで、教室に通うと言ってくれた。
通いたくなくなったら言ってくれて良いよ。ぶっちゃけ何でも話そう!
学校に通えなくなった理由や、困っている事。自分の口で話せて、聞いてくれてそれが安心の要素になったようで、帰りの車の中で嬉しそうだった。
不登校になってから前進どころか?後退しかできなくて、前進したと思っても後退しての繰り返しだったんだよ。
前に進んでるよね。きっときっと前に進んでる。
トピック作成者
2年ぶりに、21歳の息子のことで投稿します。
何から書いたものか…。
高1のときに不登校になり、通信制高校に転学後に卒業。
一人暮らしをしながら通信制大学に通おうとしましたが挫折。
実家に戻ってきた当初は心が病んでいて、精神科や交番のお世話になりました。
生きて笑っていてくれたらいいと、当時はそう思っていました。
1年目、実家で通信制の勉強をやり直すというので本人に任せたら、できませんでした。
2年目の夏、バイトを少ししましたが、挫折。
秋、11月から北海道で知り合いのもとで半年働くと言い、いろいろ準備していましたが、もめたようで、結局話はなくなり。
冬(今)、バイトの面接には出かけていました。落ちた、また応募した、と何度か聞きました。
こうやって書くと、長い目で見たら、いろいろと動いているように見えますが、普段は家にいるだけです。
毎日家で何をしているんだろうと思います。
今日、最近どう?と聞きました。
大学を辞めるために退学届けを印刷して、書いているところだと。
バイトは?と聞くと、まだ、と。
なんで?と聞くと、顔を曇らせ、顔を合わせるたびにそうやって聞くから嫌なんだと。
何かしたら報告するから、と。
ニートを養う気はないのです。
でも、出てけと追い出すこともできないのです。
毎日何をしているかわからない、この先どれだけ続くかもわからない不確定要素をやみくもに信じることもできないのです。
生きて笑っていてくれたらいいと思っていた私は、もういないのかもしれません。
普通になってほしい。
普通に、学校に行ったり、働いたり、してほしい。
そんなことを願う自分が、とてもひどい母親に思えます。
目をそらして、自分の幸せを考えて、気をそらします。
でも、時々、どうしたらいいかわからなくなります。
このままでいいのか、わからなくなります。
ジーンときた さん
メッセージありがとうございます。
無事帰宅し、言葉少なでしたが、
特に何事もない1日だったようです。
スタバ行きたい、とつぶやくので、
夕食後ドライブスルーに連れていこうと思います。
小さいころからジェンダーフリーな子なので、
周りから からかわれやすく、
中学は本人も難しい時期で、不登校になってしまいました。
だいぶ時代は変わりましたが、
いろんな子が生きていきやすい世の中になってほしいです。
バナナジュースさん
昨日、辛いことがあったのに登校されたんですね。お子様の気持ち、バナナジュースさんの気持ちを考えると涙が出ました。
人の気持ちがわかる素晴らしいお子様ですね。
うちの娘もこういう人になってほしい。
どうか何事もなく帰宅されますよう願ってます。
中学不登校の高1。
学校で続けて、クラスの子たちや隣のクラスの子から嫌なことを言われたらしい。
クラスの子は、トイレでうちの子に気づかず、陰口やマネをしてるところを、うちの子に見つかり、気まずそうにしていたと。
昨日は落ち込んでごはんも食べず、
今日は休んでも何も言うまいと思っていたけど、
ちゃんと起きてきて、
自分も言われても仕方ない行動してるから、
今日休むとクラスの子が自分のせいだと思うから、と。
ここ数年で1番感動しました。
この1年、包丁を持ち出して死ぬと言う子供を前に、もう限界だった。
大人は信用できない。誰も受け入れない。1年前は担任の先生も自宅に入れる事を拒否して、会わないからと言い続けていて、それでも先生は訪問して下さり無理強いする事なく、まずは自宅に入る。次は一言を声を掛けるては帰宅する。
そのうち居間で一緒に話せるようになり、普通に会話が出来るようになってきた。
担任の先生だけじゃなく訪問支援の方も一緒に訪問してくれるようになり、一緒にゲームして遊ぶ事で心を許せるようになって、この道のりは良い事ばかりではなかったんです。
もう会わない!家には入れないで!の繰り返しがあった上で、学校という場所に復帰させる事が目標でなく、まずは子供の心を回復させる事が優先で、学校に復帰させる事は強要はせず、私もフルタイム勤務しているので訪問支援の先生が来てくれるのも夜しか無理で、先日は初めて子供が1人でいる時間帯に訪問、玄関の扉を自分から開けて招き入れてくれました。
家には入れるな!の会いたくない!の子供が、自分から扉を開けて一人でも対応出来た事が何より前進したかなぁっと思ったりします。
子どもたちが小さい頃の写真を見ました。子どもたちが楽しそうな写真ばかり。選んでそうゆう写真を残したんだろうけど、子どもたちはのびのび育ってくれたのかもしれない。この頃の土台があればいつか気持ちを立て直してくれる、前を向いて歩んでくれる、自分、子どもたち、今ちゃんと前進していることを信じたいと思いました。
ほんと些細な事だよ。学校に行けてる子は普通の事だけど、我が子はその普通がハードルが高く1歩踏み出すのに何か月と要する。
4月から中学生で学ランの採寸時期、集合採寸には行けないよね。
個別で店に行って欲しいと相談するが、「学校に行くとは決まっていない」とあっけなく撃沈。
採寸すら行けない状態だと入学式も無理だよ。それでも入学式に備えて準備は必要で、登校できない学校の制服を用意する気持ちも親が前向きになれなくて、中古で着れそうな学ランを数点用意してみたり。でもボロボロで最悪これしかないか?
でもね。ようやく採寸に行ってくれたんだよ。新品を新調してか?気持ちが前向きになったのか?
学校は何処?連れてって?とこの一言嬉しいです。部活は何があるの?ちょっと中学も気にはなっているだよね。
以前は登校できなくなってしまった学校の子達と会う事を恐れていた。
何か言われる?顔を合わすのが怖い?それが一番のネックになっていると話していたけど、小さな学校だったからクラスに1人居るか?いないか?だよ。気にする人数ではないし、新しい顔ぶれの方が多いからと話すと、同じ小学校の子が居ても、もう良いけど。
あれ!少しは前向きな気持ちになってきた?ほんのちょっとの事です。
ほんのちょっとの変化が嬉しくなってしまいました。
今日不安ながらも1人でクリニックまで歩いて行けた娘。(私は所用のため現地集合)クリニックからの帰り道、娘が「もしかして私って不安に思いすぎ?」とポツリ。
その後、いつも薬を飲み込めなくて粉かシロップにしてもらっていたけどカプセルにチャレンジして成功。
登校はまだまだだけど、少しずつ自分に自信が持てているんじゃないかな、と嬉しくなった。
昨日、1年ぶりにワークをしてくれた。1学年下の勉強だけど、何度もやり直しての繰り返しだったけど、自分で考えて理解しようと何度も参考を見て、わからないと言いながらも自分で考えようとしていた。
毎日、3枚のワークはしようね。と約束したけど、今日もしてくるだろうか?
前進してるけど、気持ちが晴れない。何故って、もうやらない!といつ言い出すか?
嬉しくなると「もうやらない」の一言で、気持ちが急降下して立ち上がれない。
だから無になっている。
ごんすさんのコメントに感じたこと、
私の一歩ということで。
本当にその通りだと思います。自分の人生を悔いなく生きていくことは大切ですね。母が変われば子が変わる、とは言われるけど、それ以前に子どもを変えるために母が変わるのではなく、母親自身が自分に集中していくことが大事なのでしょうね。
不登校の子どもが劇的に変わるということは簡単ではないと思うので…親の気持ちが上向いてきたら、親自身が自分に向き合う必要があり、そうすることで見える世界が変わってくるのかもしれません。
もうすぐ完全不登校から8年。私と親子2人で家出して9年がたつ。様々なことが今になって過去として頭の中で思い出されます。全てがまるで映画のように感じられ過去になったのだと実感します。完全不登校になってから発作で倒れ何度も何度も倒れそれでも頑なに病院にはいかずまるで修行僧のように一人で耐える我が子になす術なく見守り続けた日々。
いよいよ体が辛くなったのか病院に行くと言いふらつきながら受診しなんとか薬をもらうところまでこぎ着けた。あれからようやく1年。
勉強とか受験とか将来とかより、今が今こそが私にとって何より大切だと気がついた。
生きてさへいてくれたら。生きて時々笑えあえたらそれ以上何を母親として望むものがあろうかと腹の底から思えるようになった。我が子と共に今を生きる。明日より今を。
そう思えるようになってから気がついたら2人で良く笑うようになった。
この命尽きるまで私は我が子の一番の味方でいる。それが私の使命です。
今日の晩の平和な出来事。私と娘はテレビでアニメを見て、休学中の息子は部屋で友達と電話しながら、たまに笑ったり穏やかにゲームをしていました。
最近の休学中の息子は、毎日午前中におきて作曲活動、洗濯をして、朝昼一緒の食事をしています。今朝は昨晩からつけていたフレンチトーストを、バターをたっぷり使って自分で焼いて食べていました。午後も作曲活動はしている様子、あと音ゲーやゲームをしています。
会話らしい会話はないしお風呂は滅多に入らないけど、学校や勉強を抜かせば平凡で平和な毎日。学校いかなくても、勉強しなくても、別にいいんじゃないかと思えてきます。
息子はまだ17歳、18歳になったら先のことを考えよう、将来について話し合おう、それまでは心穏やかに平凡にすごしてもらいたい、今日はそう思えた1日でした。
成人式で帰省した娘と
不登校児(通信1年生)の息子と私で
ストレス発散にカラオケに
行きました
(ほぼ外出なし、病院も行かない息子)
この何年も同級生とは縁を断ち
カラオケなんて小さい頃行った以来の息子
それでも一緒に行ったことに
涙出そうで
マイク持ってる
歌ってる
そんなことすら嬉しい
まだまだ同級生とは縁遠いですが
家族がまずは第一歩の社会
私達で見守り
そこから
次のスモールステップ踏んで
くれたらな と
思えた昨日でした
そして今朝
彼は早起きして(いつもは昼起き)
着物姿の姉との写真を撮ってくれました
4年先の彼の成人式は
どうなるやらですが
またそのときまでそのとっておきます
勉強はしても良い!と言い始めた息子。いつから始める?と聞くと、ワークを買ってきてくれたら、いつでもやるよ。
嬉しい気持ちがあっても期待は禁物。期待するとやらなかった時に、一気に気持ちが急降下してしまう。
約束したのにって気持ちが全面に出てしまうと、子供が後退してしまうから、いつも気持ちはセーブ状態。
1歩進んだと思ったら2歩下がる事なんて普通にあるのが不登校あるある。
焦るな。焦るな。圧を強くするな。
する気持ちになっただけでも前進だよ。前進!前進!
気持ちだけでも前進!
小4から行き渋り。小5の夏休み明けから完全不登校中の中2の娘がいます。
「学校」という場所から完全に離れ、もうすぐ4年目に突入です。
不登校初期の頃には、朝起きれなかったりひどい頭痛に襲われたり、貧血症状が出たりと…身体的症状に悩まされていました。顔は青白く、運動をしていないから体力はない。正義感が強くて、自分の気持ちを曲げることができないからこそ、心の中での葛藤は相当なものだったのではないかと思います。
ある時、娘のノートをふと見てしまって。「家から飛び出したい衝動にかられた」と書いてあって、血の気が引いたのを今でも思い出しては辛い気持ちになります。
小学校の卒業式は、当初時間をずらしての参加を本人承諾のもと予定していました。間際になって靴下をはこうとしていた手がピタリと止まったまま、涙が止まらなくなりベッドに潜り込んで「やっぱり行けない。…行けなくてごめん。」と泣き続ける娘の背中をずっとさすり続けました。
そんな娘も、有り余る時間の中で自分の好きなこと・興味のあることに時間を費やし、自分の性格や特性と折り合いをつけながら来春からは進路選択の年です。
「大学行きたいから、高校は行く」と、現在は小5のドリルと向き合っています。
中学3年間不登校で現在通信制高校2年の息子のときからお世話になっているSSWさんが親身になってくれ、娘宛に家庭訪問をしながら勉強を見てくれています。
2年前までは、このSSWさんとも襖越しにしか話せない状態でしたが、今ではマンツーマンで一緒に勉強できるようになりました。
「クラスの女子の中で一番バカだ」と言いながら、泣きながらわからない宿題に取り組んでいた娘が、自分が学校へ行かなくなった頃の学習内容と自ら向き合うようになるなんて、渦中には微塵も考えられないことでした。
もうすぐ中3の子が、小5のドリルと向き合う。普通に考えたら「え?それで大丈夫なの?」と思う方もいるでしょう。というか、普通に学校へ登校している受験生の親御さんはだいたいの人がこう思うでしょう。
でも、娘にとっては、これが大きな成長で大きな一歩。
「なりたいものがたくさんありすぎて、困ってる」と話す娘に、学校では学べないような経験を、ひとり親だけどできるだけたくさん体験させてあげたいと切に思っています。
大学でも半期不登校のち五月雨登校で卒業危うい
が去年から始めたスーパーのバイトは休まず
彼女は語ります
中学から病気にもなって母さんには
散々迷惑かけたので好きなことして下さいと
その言葉だけで十分です
あなたはしっかり動いてますよ
こんどは長い間動いてなかった私が動く番です