
一歩動き出したのかも そんなお話しませんか
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edit2022.09.06
一歩、いや、半歩かもしれないけれど、
ちょっと動き出したのかも
卒業とは言えない
でも、どん底でもない
動き出したら動き出したで、
親としてもいろんな思いがあって
そんなお話しませんか
みなさんの体験談を教えて下さい
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151476
edit2022.09.06
元中学完全不登校息子の同級生が、私の職場に入社してきました。
私と中学時代の話をしていて、
あの中学でサバイバルな3年間を過ごしたから、そのあとの人生はたいしたことなかった、
と言っていました。
うちみたいに心折れた子と生き残った子のたくましさは違うな、、と感心しました。
高校1年生、不登校に理解がある私立高校に通う娘がいます。
入学前に心療内科で軽度のASDの診断がおり、
団体生活の困難、コミュ障、感情が薄いなど小さい頃から現在まで行動が当てはまりすぎてショックでしたが、原因がはっきりしてホッとした部分もあります。
娘にはまだASDのことはまだ伝えていません。
入学して1ヶ月が経ち欠席、欠課をしながら細々と通っています。
今朝はGW明け、もろに五月病の症状が出て泣いていましたが自分から登校しました。
正直、3年間通えることが想像できません。
心療内科の先生からも「全日制は厳しいのではないか、通信制に移り様子を見ながらでもいいのでは?」と言われています。
娘にも「学校が辛いなら心が壊れる前にお母さんに話してね」と言っています。
でも内心は今の高校を卒業してほしい。
ASDでもちゃんと説明すれば仕事もできるし、何より精神的に強くなってほしい。
いろんな人を見て勉強してほしい。
いろんな事を娘に期待してしまいます。
まだまだ学校が全てではない、と柔軟に考えられません。ダメですね···
とにかく娘には笑っていてほしい。
それだけなのです。
文章が支離滅裂ですいません。
「トラウマ返し」っていうんですね。知らなかった。
私も中学不登校、現在通信制1年の息子に似たようなことを言われました。
私も受け取り頑張りますね。
息子はHSC気質です。
小さい頃は『神経質で育てにくい子』と感じていましたが、そんなに気にせず共働きで忙しくしていました。
時々行き渋りはありましたが、希望する高校に進学しました。高1の秋から行き渋りが始まり、高2の7月に通信校に転学。
昨年の夏〜秋は本当に引きこもって、部屋から出られませんでした。秋からは通信校のレポートはなんとか提出でき、数日の授業も出席できて無事3年に進級できたので、安心していました。
昨夜、息子から話があると。
普段話しかけても無視されるのでちょっとうれしかったんですが、トラウマ返しでした。
曰く「放って置かれて寂しかった」「幼い頃に必要な愛情を受け取っていないから、自分に自信が持てない」「今さら優しくされても手遅れだ」「俺は苦しんでいる、親として一生後悔しろ」「俺の世話をし続けろ」「死ぬまで働いて財産を残せ」と。
文字にすると余計に恐ろしいです。。。
以前に読んだ本で「トラウマを返しに来たら、ちゃんと受け取れ」とあったので、昨夜は相槌を打ちながら反論せずに聞いていたのですが、聞き流された、と感じたようです。
朝起きたらテーブルに『絶対許さない』と書き置きがありました。
「ちゃんと受け取るの」も難しいですね。。。
こんなのは 一歩動き出した ことになならないかもですが、「息子のトラウマ、きちんと受け取るぞ!」と私の決意を誰かに伝えたかったので書き込みさせていただきました。
聞いていただいてありがとうございました。
GW昔の友達の家に遊びに行った。1人で電車に乗って帰りも電車で帰ってきた。間違って真逆の電車に乗ってしまって、途中で降りてまた戻って冒険をしたかなぁ。と思う。
他人に否定されたとき
娘はものすごく落ち込み、死にたいという
でも、そんなことはこれから沢山あるんだよ
親がいなくなっても、たくさん
だから一人で立ち上がって、一人で進む力をつけなきゃ
娘が死にたいという度に、前進のチャンスだと思うようにして、コメントしてみました
新学期、毎度のことながら、さらに受験の年ということもあり、ちょっと夫婦で前のめりになっちゃったよね、普通に高校生にならなくても、人生は終わらない、色んな生き方があるんだから、何とかなるよね、ここから先は進路の話もしばらくやめよう、焦っても仕方がない、また動き出すまでゆっくりさせよう、学校に行かなくたってなんとかなるんだよ、って本人が思えるように行動しよう。
と夫婦で方針を固めました。
息子ではなく、親の私たちが、ちょっと前進。
医療保護入院から退院した、統合失調症の17歳息子。退院してからはとても穏やかな日々を過ごしています。以前より話してくれるようになったし、リビングで食事をしてくれるようになりました。何より笑顔が増えました
でも、ふとした瞬間ボーと俯いていたり、無気力な様子は、外で見る元気な17歳とは全然違う。やはり元気になったようで、病気なんだな、と思います。
息子が良くなってくことを信じたい。その気持ちで夫婦で力を合わせるようになりました。また家族が一つになれる、希望を持てるようになったのでやっと一歩前進です。
子供の話ではないのですが。
子供が不登校になり、私は人に会うのが嫌になって、うちの子のことをわかってくれてる友達2人くらいしか会うこともなく、色々と誘いも全部断ってきてました。親戚に会うのもしんどいし、孤独だけど自分の心身を守ることを優先してました。
そこから3年以上経ち、このゴールデンウィークは前々から全然会えないからってたまに連絡くれてた昔の職場の先輩、同期とか、あと考え方があまり合わないなと思ってた親戚から連絡がきて、会うことにしました。
そこで色々話を聞いてたら、家族の形なんてほんとみんな様々なんだなーって感じました。
夫婦の形も色々、子供ともいい距離感で別に家族一緒にいなきゃいけないこともなく、50歳超えても都会に出て新たに仕事を見つけて1人暮らしを始めた友達の話も聞いて(離婚してるわけでもないけど)、もちろんそこに不登校の子を持つ人の話はなかったけど私もなんか殻をやぶって動き出したくなりました。
私ももうすぐ50代へ突入するので、やらない後悔よりやって後悔する方がマシかな⁉︎とかなんか少しだけ謎のやる気が湧いてきてます。
子供が動き出さないなら私が動いてみるか!って感じです。
訳わからない1人語り失礼いたしました。
トピック作成者
地域の支援センターに行けた。私が。
対応してくれたのは、2年前に相談に乗ってくれた方だった。
お母さんの今までの対応は、間違ってませんよ
そう言われて、涙が出た
しばらく期間を決めて、就職とか大学とかのワードを出すのをやめてみよう
そうしたら、話してもいいかなって気になるだろう
その後で、息子にとっての幸せとか
3年後に食費2万入れることを一緒に目標にしようとか
そういう腹を割って話すフェーズがあっていい
そういう具体的なアドバイスをもらった
心が軽くなった
少し雑談増えたかな
息子は、庭掃除を頑張った
一袋500円で15袋を買い取った
翌日、電車で2時間かかる人の多い商店街に出かけてった
好きなもの買ったのかな
にこにこして、駅でミスドを箱いっぱい買ってきてくれた
一歩ずつ、一歩ずつ
大丈夫
不登校になって初めて学校の校門を1人でくぐった娘。それだけで涙が溢れた。結局クラスには入れずに保健室へ行った様で、書類などを受け取ってすぐ帰ってきただけだったけど。
それでも今日は大きな一歩だったと思う。
参加するとも言わないけれど何度聞いても「行かない」と言わない林間。行ってみたい気持ちと不安がせめぎ合っている。
我が家の小学校高学年の娘は4月から通級に行っています。
ですが週に1〜2日は休むし週に1日は遅刻します。
始業式から3日間は教室で過ごしたのに体調悪化し通級に変更した時、下校後元気がなかった時、体調が悪くお休みした時、遅刻した時… その度に私は不安というより恐怖に近い感情に押し潰されそうになります。
今日私の睡眠薬をもらいに心療内科くと先生から「娘さんとても順調ですね」と言われました。
先生にそう言われて、あ…順調なんだ…と少し安心できました。
「逆流性食道炎のお薬が効き朝ご飯も以前と同じ量を食べられるようになった」と言うと、「とても良いこと、学校へ行けないよりちゃんとご飯が食べられないこと(特に朝ご飯)の方が問題です」と言われた。
私の主治医は以前から、無理して学校に行かせなくて良いという考えは無責任だ、少しずつでも復帰に向けて後押しするべきだという考えで、それがどん底だった頃の私にはプレッシャーでした。
でも今日は私の不安に反して「復帰の第一歩としては順調」と言われて肩の力がストンと抜た気がしました。
新年度が始まる前、しんどくなったら自分で判断してお休みすることなど話し合ったのにいざ休むと言われるといちいち落ち込んでしまう。
不登校からすぐ元通りになるわけない、頭ではわかってるんですけどね…怖くて呼吸が苦しくなって頭の中が不安で埋め尽くされちゃうんです。
学校に行ったら行ったで他の子との差がわかって辛くなってしまいます。
そして自己嫌悪でまた落ち込みます。
私は全く進めていなくて…
そんな時はこのトピにきて皆さんに勇気をもらっています。
我が家も進んでる大丈夫と思いたくて、出来るだけポジティブなことを書き込みます。
今日もこのトピに助けていただいています。
本当にありがとうございます。
中3の娘、4月から登校しています。
中2のクラスが合わず、ずっと何とか頑張ってきたようですが12月頃限界を迎え、五月雨を経て完全不登校でした。
最初は絶望でしたが子どもを受け入れることに決め、口出しは一切やめる、言ってきたことは決して否定しない、私の不安は子どもには悟られないようにする、何事も自分で決めて動き出すのを待つ。
そして一緒に娘の趣味を楽しんだりするうちにだんだんと口数が増え前向きな発言も出てきて、クラス替えをきっかけに学校も部活も再開しました。
楽しそうに学校の話をしているのを見るともう大丈夫かなと思ったりしますが、時々娘が不機嫌そうにしているとあの頃の絶望感が蘇ってきてしまいます。思春期だしそんな日もあるだろうし、子どもの動きで一喜一憂しないって決めたのに。自分の心が弱っている時は悪い想像しかできませんね。更年期のせいかもしれませんが。夫は口を開けば否定するのでもう何も話す気はせず、積年の恨みも相まって私のメンタル最悪です。そのおかげで私は絶対に否定ばかりする人間になりたくないと思って努力できているとも言えますが(話がそれました)
たとえまた登校できなくなっても、ドンと構えて別の道を提案できる母親でいようと決心したのに。
今日は本当に落ち込んでいて、思わず吐き出してしまいました。
動き出したのにこんなに辛いとは。
先の心配しても仕方ないって分かっているのに。
不登校って親にとっても本当に大きな心の傷ですね。
完全不登校から通信制高校入学
週5、4月は全部登校できた。
中3はほぼ完全不登校でそのうち5ヶ月間は社会的ひきこもりの本当に闇だった。
回復して2ヶ月のリハビリ後の入学。
楽しい高校生活とはいかないようだけど…
上の子と合わせたら約5年ぐらいの不登校生活。2人とも学校に登校してる1ヶ月を過ごせた。
時が来て環境が整えば、子どもは動き出す。
それは子ども自身とタイミングにしかわからない。
1年生の3学期から不登校で現在中3。2年生になって近くのフリースクールに午後だけ行くようになりました(フリースクールは午前中が勉強で午後よりフリータイム)進路は通信制高校とだけは決めていますが、ずっとノー勉。
そんな子供がフリースクールで少しずつですが勉強を始めました。もちろん1教科だけの10分くらいですが、それでもこちらから勉強しなさいとは言ってない。自ら考え、始めた事にとても感動しています。気の合う先生がフリースクールにいてくださる事もとても大きいと思いますが本人が自らやろうと思っている事が1年前の暗い表情で何もしてこなかった子供とは大きく変わりました。中学校にはもう戻れないかもしれません。でもたった5分、10分の勉強ですが大きな一歩です。
完全不登校からの復帰の通信制高校入学で
毎日登校できてます。
さっそく孤立、うまくいってないようだけど
もう不登校になりたくない!という強い意思で登校してます。
そうじゃないんだよね、体調に出てしまうんですよ。それで行けなくなるの、忘れてしまったのか…
行きたくないから行かない…じゃなかったよね。行ける状態ではなくなってしまうというのを忘れてる。
本人が、休んでも大丈夫ぐらいの緩い気持ちでいないと。
毎日ハラハラしてます。
我が子は転校してから不登校になり、転校前の学校の子達とはたまの連絡程度で、ほとんど特に連絡はしていなかった。不登校期間は1年少し、荒れていた時期で誰かと繋がる気持ちもない感じで、転校後で友達になった1人だけと遊んでは居たのは居たが、1人でずっと過ごしてる状態。
中学の入学式を境に自分から連絡を取るようになり、少しだか学校にも行く気になり、気持ちも変わったのか?昔の友達と遊ぶようになった。何も知らない当時の事を友達に話したそうです。1年間不登校になってしまったこと、容姿が変わってしまった姿も見せて、お前ヤバすぎるやろ?と昔から知ってる間柄だからこそ、ケラケラ笑い合い!気を使わない会話。
気を使わない会話が出来るって素敵な事だと思えた。
この1年間、本当に酷くて、育て方がわからない状態だったから、昔の友達に連絡を取ったのは、きっと前に進もうとしてるからだと思う。普通に戻りつつあるんだと思いたい。
いちごミルクさん
担任の先生理解ありますね。
段階や状態を気質と解釈される教員や支援者も多くいます。
心と身体が元気じゃないのに
どんどん挑戦させようといろいろ押し付けてくる
一見それでできているので成功体験と思われてしまうけど、違うんですね。
自分で決めてないから。どんどんエネルギー切れをおこします。
心と身体が元気になり、自分で決めて行動起こす、それを積み上げる。エネルギーが溜まっていきます。
段階や状態を見るのがいかに大事か。
子供2人不登校から回復してみて本当にそう思います。
子ども3人、うち2人が不登校でした。
今、高2になった末っ子の個人面談があり、
担任と私で話をしたのですが、
これまでは持ち味や能力を発揮できる段階ではなかったのかな、これからは自分が選んだ道で開花していけるといいですね、とおっしゃっていただけました。
3人の子育ても終盤に差しかかり、わかってきたこと。
心と身体が元気ならどうにかなる。勉強なんてあまり重要ではない。
自分で決めたことならできる。
まだまだいろいろあるでしょうが、子どもの選ぶことに口を出さない、必要な支援だけする、と改めて心に誓いました。