- 学校での居場所のなさなどで苦しんでいる中高生たちへ向けて、不登校経験者たちに当時~今に至るまでの話を伺う「元不登校生インタビュー」。今回はフリースクールRizのスタッフでもある「ほっくん」さんにお話を伺いました。
――まずは自己紹介から、お願いします。
佐倉北(さくらほく)と申します。
福岡県出身で、年齢は22歳です。
――今回はよろしくお願いします。
いじめを受け、「ちょっと休みたい」気持ちから不登校に。
――不登校になったきっかけをお伺いしてもいいですか?
高校2年生の時、クラス旅行のイベントがあって、そこでいろいろと不愉快な思いをしてしまって。
要はいじめみたいな感じですね。
トラウマを持ってしまったんです。
最初は不登校になるつもりはなくて、1日だけ休む、くらいの気持ちで休みました。
でも、やっぱり学校に行くのがすごく怖くなってしまって。
じゃあもう1日、もう1日と繰り返しているうちに、どんどん長期的になってしまいました。
――最初は「少し休みたい」程度だったんですね。
そうですね。
それから半年間ほど、学校に行きませんでした。
――学校を休んでいる間は、主に何をして過ごしていましたか?
今思い返すと、不登校になっていた間の記憶って曖昧で。
しいて言えば、テレビ観たりYoutube観たり、ビデオゲームをしたりとかですね。
特に外に出ることはなくて、勉強も一切していませんでした。
――当時、学校に行けないことに対してどう考えていたのでしょうか。
学校に行かないことに罪悪感があって、「早く学校に戻らないと」という強迫観念を抱いていました。
休んでいる間ずっと自分が悪者のように思えて、「早く学校に戻らないと自分の立場・居場所が無くなってしまうのではないか」という不安もありました。
でも一方で、学校に戻るとまたいじめられてしまうのではないかという不安、葛藤があり、苦しかったです。
――いじめを受ける前は、学校に対してどんな印象を持っていましたか?
もともと学校の雰囲気が合わなくて苦しんでいました。
いじめも、そこから生まれたのだと思います。
「放っておいてくれた」のが救いだった
――学校を休むことになって、ご家族の反応はどうでしたか?
家族はすごく受け入れてくれました。
「学校に行きなさい」とは一回も言われず、学校に行けない理由を聞かれたことも今に至るまで一切ないです。
「行きたくないんだったらそれでもいいよ」って言ってくれて、僕が毎日家にいても全然受け入れてくれて。
僕が不登校になったことについて、本当は親は何か知っていたのかもしれません。
それでも、一度も触れてこなかった、いい意味で放っておいてくれて、僕はすごく助かりました。
――先ほど不登校の期間は半年とおっしゃっていましたが、その後は学校に戻ったんですか?
はい。
ちょうど始業式が近かったので、その日から学校に戻ることを決めました。
正直、気持ちとしては一番怖かった日でしたね。
どうせまたいじめられるんだろうなと思って、すごく怯えながら学校に行ったことを覚えています。
――それほど怖かったのに、学校に行こうと思ったのはどうして?
そこで学校に行かなかったら、どんどん不登校期間が長引いて、ずっと行けなくなってしまうのではないかと思ったからです。
――行ってみて、どうでしたか?
学校にいる間は、「もういじめないでくれ」とずっと祈っていました。
でも始業式の後のホームルームが始まると、予想通り、またいじめのようなものが始まりました。
いじめグループの1人が欠席の多さについて先生に注意されると、「自分よりもっと休んでいる奴がいるので」と笑いものにしてきて、それに周りの人も乗っかっちゃって。
泣き出しそうになってしまいました。
――苦しかったですね……。また休もうとは思わなかったのですか?
また休んだら、もう戻れなくなると思ったんです。
別にその学校が好きだという気持ちは全くなかったんですけど、目指したい大学があったので、高校を離れたらその夢が叶わなくなるという強迫観念を持っていました。
だから、「苦しいけど、この環境にいなきゃいけない」と考えてしまったのだと思います。
出席日数が足りなくて高校を中途退学。4月から別の高校へ
――その後も学校には通ったんですか?
学校に戻ってから、半年頑張ったんですけど、ずっといじめられていました。
それでまた欠席が続いて、テスト期間中も行けなかったので、テストを受けられなかったんです。
出席日数が足りなくなり、またテストを受けられなかったことで成績もつかず、「進級できません」と担任の先生から言われました。
留年するか退学するしか選択肢はなく、「この学校には絶対に行きたくない」と思ったのでそのまま中途退学しました。
退学が決まった日はすごく悲しくて、号泣したのを覚えています。
自分の行きたい大学に行けなくなったと思い込んでいました。
――退学を決めてからは、どうしたのでしょうか。
そこから、4月までに編入できる高校を探し始めました。
都立高校を1校見つけて、そこに応募して。
無事合格したので、4月からはその高校に編入することになりました。
ただ、高校2年生の時は留年扱いになったので、その分の単位が認められず、2年生として入学して、2年間通う必要がありました。
――編入した後はどうでしたか?
けっこう色々、人生観が変わりましたね。
普通であることはこんなにも幸せなのかと思うぐらい、自由でのびのびとできました。
――編入して良かったですか?
良かったです。
学校が嫌いなわけではなく、人が合わなかっただけだから。
いじめられた人や元不登校生が集まりやすい高校だったというのもあって、なんとか卒業できました。
いろいろな仲間に出会って、映画部で自主映画も作りましたね。
それもすごく楽しくて、授業はそんな面白いってほどではなかったけど、そういう何気ない1日が、自分にとっては幸せな1日でした。
今振り返ると、あの高校での2年間はすごく幸せだったなと思います。
幼少期からの憧れ「東京大学」へ。葛藤しながら挑み続けた2年間。
――今は、何をされているんですか?
東京大学の2年生です。
文科一類で入学して、今は法学部で勉強しています。
ただ、東京大学の受験は2回失敗して、3回目にやっと受かったんです。
高校時代の留年とあわせると、同級生から3年ぐらい遅れています。
――すごいですね! なんで東京大学を目指そうと思ったんですか?
小さい頃から、「トップを目指したい」という気持ちを持っていたんです。
東京大学と言えば、全国トップクラスの教育機関で、全国から優秀な学生が集まる場所。
そんな場所に行くのが憧れでした。
だから、東京大学には絶対に行きたいと思っていました。
――勉強はどのように取り組んでいたのでしょうか。
まともに勉強を始めたのは遅くて、東大落ちてからやっと本気になったって感じです。
それより前は、何をどうしたらいいのか、自分でもよく分かっていませんでした。
なかなか本気になれず、いい加減に勉強していたのは覚えています。
塾には通っていたけど、宿題も適当にこなしていました。
そして受験に失敗して……。
心を入れ替えようと思って、やっと本気になりました。
新しく予備校に通い始めて、そこから勉強を始めたという感じです。
――予備校時代はどうでしたか?
高校と同じような感じで、毎日授業がありました。
朝から予備校に行って、授業のない時間は自習室にこもって勉強して、夜に帰る、という生活の繰り返しです。
――勉強は困りませんでしたか?
大変だったけど、分からないことはすぐに聞けたし、何をやるべきかも課題をこなせばいいだけだったので安心できましたね。
でもスランプはあって、いじめられた経験から、予備校時代も現実を見るのが怖くなる時期がありました。
東大に受からないといけないというプレッシャーや、自分の成績と東大合格のギャップがすごく辛くて。
朝早く起きて勉強しなきゃいけないんだけど、ずっと布団にこもっていたいとか、現実を見たくなくてスマホで動画をずっと観ているとか、まだ混乱していました。
予備校2年目になってからも、これは続きました。
予備校の夏期講習があるのに20日間まるまるサボって、1秒も勉強せずにただ布団にこもってテレビや動画を観て……。
今考えても、本当に堕落していたと思います。
そんな生活からどうしても抜け出せなかったのが、受験時代に一番困ったことです。
――その後はどうされたんですか?
なんとか心を入れ替えて、受験勉強を続けました。
ただ、現実を見るのが怖いという感情はなかなか乗り越えられず、自分の弱さと戦いながら勉強する、という感じでしたね。
合格して、やっと1つ恩返しができた。大学合格後のことについて
――無事に合格できた時はいかがでしたか?
号泣しました。
番号があった瞬間は、信じられなかったです。
合格発表は一人で確認して、外で待ってたお母さんのところにすぐに駆け寄って、合格したことを伝えました。
――お母さんの反応はどうだったのでしょう。
すごく喜んでくれました。
一緒に抱き合って、僕につられてお母さんも泣いていて。
僕のことで喜んでくれたのは、今でも本当に嬉しいですね。
――ご両親を喜ばせられた、というのは良いですね。
学校に行けなくなった時、家ではいろいろと迷惑をかけてしまっていました。
学校で嫌なことがあると家ですぐに八つ当たりして、怒鳴り散らしたり物を投げたり、悪いことをいっぱいしました。
今でも、そのことは申し訳ないと思っています。
東大に受かって、初めて1つ恩返しができたかな、と思っています。
――大学生になってからの日々はどうですか?
お笑いサークルに入って、漫才やコントをやっています。
定期的にお客さんを呼んでネタの披露もしていて、ネタ作りも含めて、お笑いの本質が見えるのは楽しいですね。
良い人ばかりで、毎日がすごく楽しくて、充実しています。
――大学卒業後のことは考えていますか?
大学卒業後は、弁護士を目指しています。
卒業したら法科大学院に進んで、もう2年間勉強して、司法試験を受けて弁護士になることが、1つの大きな目標です。
――裁判官や検察官ではなく、弁護士になりたいんですね。
弁護士ですね。
弁護士として働きながら、まずは学校の教育問題に携わりたいと思っています。
僕が高校時代にいじめを受けて不登校になったというのがあるので、夢は、勉強して、法の知識をつけて、いじめに苦しんだり不登校になったりしている人たちを助けることです。
――良いですね。応援しています。
ありがとうございます。
まだまだ遠いですけど、頑張ります。
逃げることは、負けじゃないから。今悩む中高生に伝えたいこと
――では最後に、全国の中高生へメッセージをお願いします。
僕が一番伝えたいメッセージは「逃げてもいいんだよ」ということです。
学校なんて、正直行かなくてもいいです。
行かなくなったところで、自分の夢が叶わなくなるとか、大学に行けなくなるとか、そんなことは全然ありません。
自分が今いる環境が苦しいんだったら、学校がつらいなら、まず逃げるのが一番大切。
すぐに逃げて不登校になっても、それは悪いことじゃないんです。
無理して学校に行かなくてもいいし、今学校に行っていない人も、不登校が悪いとは思わないでほしい。
不登校になっても、いろいろな選択肢があります。
例えばフリースクールに通うとか、予備校に通って高卒認定を受けて大学に行くとか、他にもたくさんあります。
学校で追い込まれている人は、判断力や思考力が鈍って正常な判断ができなくなってしまいます。
本当は逃げてもいいのに、「このまま我慢しなければいけない」と考えてしまう。
そういう強迫観念に追い込まれてしまう前に、一刻も早く、自分の身を守るために逃げてください。
一旦逃げちゃって、自分が冷静に考えられるようになってから、その後の道を考えればいいと思います。
自分の身の安全を確保して、逃げてほしい。
それが、僕の一番伝えたいことです。
当フリースクールRizに来てくれる子どもたちには勉強だけでなくそういったメッセージを伝えています。
――本当にその通りだと思います。周りの方からの声掛けも大切なのでしょうか。
その通りです。
いじめに限らず、本当に追い込まれている人は正常な判断ができず、我慢することしか考えられなくなる。
だからこそ周りの人が「逃げてもいいんだよ」と声をかけてあげることが大事なんです。
その一声だけで人は救われるんです。
――熱いメッセージをありがとうございました。
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