いつの間にか、いい距離感になりましたね【不登校生の保護者インタビュー 第3弾】

不登校の子を持つ保護者の方に、我が子との向き合い方を伺う「不登校生の保護者インタビュー」第3弾。今回は、ご自身も注意欠陥障害やアスペルガー症候群を抱えながら、不登校の娘と生活を綴ったブログ「小学生で不登校!?~大人と子どもの発達障害~」を運営している「ヨーコさん」にお話を伺いました。

――本日はよろしくお願いします。はじめに自己紹介をお願いします。

ヨーコと言います。
現在は、娘と二人暮らしです。
娘は、なつみ(仮名)15歳で、小2から中3まで不登校でしたが、今春から通信制サポート校に入学しました。

――早速ですが、なつみちゃんが、不登校になった時のことを聞かせていただけますか?

小学1年の時から行き渋りとかはありました。
はっきり不登校だな、と思ったのは、小学2年生の3学期でした。

娘にとって学校は楽しくないんだろうな、と感じていた

――学校に行きたくなくなった理由があったのでしょうか?

最初はさっぱり分からなかったんです。
ただ、小学校入ってすぐにいじめられたりしていました。
娘は保育所出身だったんですが、同じ私立幼稚園に通っていた子同士という、人間関係が出来上がったグループの中に飛び込んでしまったんです。

クラスで、可愛いシールを手帳に貼って集める、シール帳が流行っていたんですけど、先生から学校に持ってくることは禁止されていたんです。
娘がクラスの子に「シール帳、持ってきたらあかんねんで」と注意したら「生意気や」と言われて、名札に貼ってあったシールを全部剥がされて帰ってきたこともありました。

算数の時間に、指を使って計算していたら「指使ったらあかんねんで」と言われて、バカにされたりもしたみたいです。
そういう話を聞いていたら、娘にとって学校ってあんまり楽しくないのかなって感じていました。

――嫌なことがあったら、すぐに話してくれたんですか?

言ってくれることと、言ってくれないことがありますね。

学校の先生から「なつみちゃんは、字が丁寧じゃない」って指摘されたことがあったみたいです。
「娘さんが『私は、字が汚くてダメやから、習字に行って頑張らなあかんねん』って言いながら、トボトボお習字に行きやったよ」という話を、近所のお母さんから聞いたこともあります。

娘は、一生懸命字をきれいに書こうとするから、全部は書ききれないんです。
疲れてくると、殴り書きみたいになってしまって、先生にはそのぐちゃぐちゃな方が目についてしまっていたみたいです。

――先生にも、なつみちゃんのことをなかなか理解してもらえなかったのですね。

小学1年生の時は、娘のいじめのことを連絡帳に書いたり、私が学校に行って先生と直接話したりもしていたんです。
先生の返事としては、本人たちに話し合いをさせて「ごめんね」「いいよ」と言って仲直りしました、というものでした。
それでは解決になっていないだろうと思っていましたが、やはりお互い感情的なしこりは解消されていなかったようです。

――学校に足が向かなくなってきたのはいつごろですか?

小学2年生の5月頃から月2~3回「しんどいから休む」といって学校を休むようになってきました。
そして夏ごろ、娘を学童に預けようとした時に「どこにも預けられたくない」と学童拒否を始めました。
私が通院していた精神科の先生に、娘のことを相談したら「すぐ児童精神科に連れて行った方がいいです」と言われたんです。
診察を受けると、分離不安と、心身症と診断されました。
不登校の子は、だいたいそう診断されるらしいです。

その病院のセラピーにも通っていましたが、良くならず、始めは、毎週月曜は休んでいたのが、月火となり、月火水になって、月火水木と増えていきました。

――「休みたい」と言われてからは、どのように対応されたのでしょうか?

週に3~4日休むようになってから、先生から「付き添い登校してください」という働きかけがあり、一週間ほど娘と一緒に学校へ行ったんです。
娘の後ろの席に座っていたんですけど、教室の様子を見て、こんなとこ地獄やわな、と思いました。

学期末だったということもあって、自習のような時間が多かったんですが、クラスがぐちゃぐちゃでした。
ある子は、先生と一緒に騒いでいるし、別の子は、図工の課題で紙を前にして固まっていたりするんです。
他にも、お喋りしている子もおるし、片隅ではけんかしている子もいました。

先生に「この子ら、ケンカして泣いてるけどほっといていいんですか」って聞いたら「もういいんです。どうにもなりませんから」って言うんですよ。
学級崩壊とまではいかないですけど、私やったら、こんなところ通いたくないって思いました。

それでも、なんとか付き添い登校を続けて、2学期の修了式を迎えました。

――3学期はどうでしたか?

娘は「もう行きたくない」と言っていたんですが、3学期に入って何日か経つと、急に「やっぱり行く」って言いだしたんです。

その時も、付き添って学校へ行ったんですけど、校舎を見ると娘が震え出したんです。
まずいなあ、とも思ったんですけど、せっかく来たんやしと思って、校舎の中まで連れて行ってしまったんです。

娘は「クラスには行きたくない」って言うので、先生に話して空き教室に通してもらいました。
それから、担任の先生が慌てて挨拶に来たくらいで、2時間ほど誰も教室に来ないんですよ。
せっかく勇気出してきたのに、「よう来てくれたなあ」とかいう言葉があるわけでも、誰か先生が付いていてくれるわけでもなかったんです。

2時間経った後に娘が「もう帰る」って言ったんですよ。
私も、アホらしくなって「うん、帰ろか」って言って、靴箱に向かったんです。

そしたら、ちょうど娘のクラスの子たちが、体育に行くタイミングだったらしく、靴箱で鉢合わせてしまったんです。
クラスの子たちが娘に向かって「あー、なつみちゃん帰るのー。ずるいー」って言ったんです。

娘は、ひどく傷ついて、家に帰ってきてから「もう行きたくない」と言いました。

親として「なんとかしなければ」という焦り

――「行きたくない」と伝えられた時に、どう思いましたか?

正直いろんな気持ちが渦巻いていました。
不登校って中学校ぐらいからじゃないの?まだ小2なのに?っていう気持ちも自分の中にありました。
ただ、学校に行ったらえらいことになるやろうなっていうのが目に見えていましたから、今は無理やなって思いました。

行かんでいいって思ったのも本当だし、「マジか!?」と思ったのも本当です。
でも、当初は行かんでいいよ、でしたね。
その時は、漠然と不登校がずっと続くとは思ってなかったです。

――「行かんでいいよ」と言ってからは、どのような心境でしたか?

私も「学校に行かんでいいよ」とは言ったものの、親として何とかせなあかんと、焦っていました。
それに加えて、娘の同級生のお母さんや、自分の親から「不登校とか、そんなんあかんで」って言われるんです。

酷い人は、娘に直接言うんです。
「なつみちゃん、今から学校行ってなかったら、高校も大学も行かれへんで。お仕事にも就かれへんで」
私も娘も傷ついて、ストレスもたまって、ボロボロでした。

――どこかに助けを求めたりされましたか?

市の教育相談に行ったり、「不登校 小学生」のキーワードで出てきたブログを読み漁ったり、図書館で不登校に関する本を借りて読んだりしました。
精神科の先生にも相談して、親子二人で一週間くらい入院もしました。
入院したと聞いたら、周りの人も「なんか事情があるんじゃないか」と思ってくれるんじゃないか、と期待しての入院でした。

小学3年生になってからは、娘がずっと学校に行っていないという状況に私が耐えられなくなりました。
ノイローゼ状態で精神科の先生に相談したら、「特別支援学校に転籍して、訪問学級(注1)を受けてみたら、どうですか?」と提案されたんです。
始めは、一時保護(注2)を勧められたんですが、一時保護は、子どもを見捨てるような気がして嫌だったので、訪問学級を選びました。

(注1)訪問学級…重度の障害や病気のために特別支援学校に通うことが困難な児童・生徒のために、特別支援学校の教師が週に数回、子供のいる家庭もしくは病院で行う教育的な援助のこと。
(注2)一時保護…児童相談所が子どもを家庭などから引き離し、一時保護所などで保護すること。


――訪問学級
はどうでしたか?

大ハズレでした。
指導の一環で、娘を無理やり学校に行かせようとして、指導者から「学校行かへんかったら、お母さんが逮捕されるよ」って言われたみたいです。
娘はそれにショック受けて、初めて喘息の発作を起こして、体も心もボロボロになりました。
私も、それを聞いて怒り狂って、特別支援学校をやめました。

それが、小3の9月の末ぐらいですね。
喘息の治療もかねて、再度3ヶ月ほど最後に入院しましたが、あまり意味はありませんでした。
そのあたりから、引きこもりかなっていう感じになっていきました。

娘は、友達と遊びたいとか、ゲームしたいとか、ただ普通に過ごしたいだけだったんですよね。

――不登校を完全に受け入れたのはいつですか?

最後の入院の時に、治療のプログラムとして放課後登校をするっていうのがあったんです。
それを娘は本当に嫌がっていて、校門のあたりで「二度とこんなところの敷地は踏みたくないわ」って言ったんですよ。
それを聞いて、「もう、ほんまにええか」、と思いました。
娘もここまで頑張ったし、私もやり尽くしたわ。もうええ、と思いました。

初めて娘を丸ごと受け入れてもらえて

――不登校を受け入れてから、ご自身の気持ちに変化はありましたか?

しばらく荒れていたんです。
私も娘がいつか学校に復帰するかもしれないという希望を失ってしまって、イライラして、しょっちゅう病気して、娘もそんな私を見て辛そうでした。
親子関係もうまくいってないなって感じていて、小学4年生の時に、もう私一人ではどうにもならなくて、不登校の子の親の会に行くようになりました。

行き始めたら、すごいほっとしたんです。

うちの他にも、小学校2年生で不登校の子の親もおるし、うちが不登校になるのが特別早かったわけでもないんだなって思いました。
年齢は違っても似たような問題を抱えている人もいて、ホンマに共感して話を聞いてくれました。

親の会の人の勧めで、公立の小・中学校の教職員OBが主催しているNPOの教育相談にも行くようになりました。
そしたら、「なつみちゃん、むっちゃいい子やな。すごいええこと言うな。お母ちゃんかってホンマに頑張ってるいいお母ちゃんやん」って言ってくれたんです。

今まで相談とか診察とかセラピーとか散々試してみたけど、娘のことを丸ごと受け入れてもらえたのは、それが初めてだったんです。
気持ちがホッとして「そうやん、うちの子、ええ子やん!私もよく頑張ってるわ」って思えました。

親の会とNPOに半年ぐらい通っているうちに、だいぶ自分の情緒が落ち着いてきました。すると娘も同調するかのように落ち着きましたね。

――なつみちゃんに変化はありましたか?

小学4年生になると、パソコンに興味を持つようになって、私のパソコンで「ゲームさせて」と言うようになりました。
当時、私はブログを書く仕事をしていたので、娘に長時間パソコンを使われたら困るということもあって、娘専用にオンラインゲームもできるパソコンを買いました。
パソコンを使うことで、こうなってほしいという希望があったわけではありませんが、あわよくば外の世界との窓口になってくれればな、と思いました。

ネットを使う上での注意を一通り伝えて、その後のパソコンの使い方には、一切干渉しませんでした。

――干渉しないように自制されてたということですか?

決めていました、それはもう決意です。
親が監視したり、履歴やブックマーク見たりしたら絶対信頼関係も失うし、親子関係もうまくいかなくなると思います。
Twitter のアカウントも災害用に教えてもらってるけど見たことないんです。

――お子さん専用のパソコンを使うようになってから、変化はありましたか?

すごい楽しそうにやってます。
タイピングのためにローマ字を教えてやったら、パソコンデスクの前にローマ字表を貼って、一週間で覚えてしまいました。

youtubeとか、ニコニコ動画とか、楽しみ方もどんどん自分で見つけていきました。
オンラインゲームの中で、誰かと待ち合わせて戦いに行ったりしてるみたいです。

小学5年生ぐらいからは、ニュースの話もするようになりました。
不登校になってから勉強は一切させてないんですけど、知的レベルはどんどんアップしてるのを感じました。

――なつみちゃんは、今でも不登校のきっかけはお話しされないんですか?

小学6年ぐらいの時に「先生は、なんで仲の悪い者同士を同じクラスにしたんやろ」とか、「校舎の中に子どもたちが何百人も居ると思っただけで気分が悪くなる」って言ってました。

理由っていうほどのことではないですが、当時感じていたことや、疑問に思っていたことを話してくれたんです。
でも、先生とか友達とかを責めるようなことは聞いたことがないです。優しいんですよね。

親の会でも、不登校の当事者が30歳くらいになってようやく、学校に行けなかった理由が分かったっていう話を聞くんです。
親の気持ちからすると理由を知りたいですけど、そんな簡単なものじゃないのかなとも思います。

学校の雰囲気とか状況がつらいんだろうな、とは思いましたけど、本人の口から語られることはなかったです。

――学校のことについて喧嘩になったことはありますか?

恥ずかしいですが、私がいつも一方的に怒って、娘が泣いて、私が自己嫌悪に陥るっていうのが長く続きました。

中学2年くらいからは、私が怒ると娘が冷静に言い返してくるようになりました。
「ママは当たり散らした後に、反省するっていうのがパターンやねん。もう慣れたし私はそんなに傷ついてへんから気にせんでええよ」って言われるんです。
娘は冷静で、私のことをすごくわかってくれています。

普段も気が向いた時には、話しかけてきてくれるし、私も話してくれそうだったら話します。娘はイヤだったら「もうこれでおしまいにして」「今は話しかけないで」とはっきり言ってくれるので助かりますね。
長い間二人でひきこもり続けてきた結果、一時は、どうなることかと思いましたけど、いい距離感が出来上がりました。

「いつか立ち上がることを信じて」我が子の不登校に悩む保護者の方へメッセージ

――最後に、同じように我が子の不登校に悩む保護者の方へメッセージをお願いします。

親の会とか行くと、子どもが学校行けなかったら人生終わり、みたいに思ってる人がすごく多いんですよ。
そんなことないんです。

まずは、子どもの言うことを真剣に聞いて、認めてあげてほしいです。
そして、お願いだから子どもを休ませてあげてって思います。

でも、自分も絶対辛いですから、いい相談先見つけて、一人で抱え込まずにいきましょう。
引きこもりの当事者が「お母さんがしょうもないテレビみて笑ってる姿を見て、自分って生きてていいんだって思えた」って言ってるのを聞きました。
親が元気で居ることが子どもは絶対嬉しいはずなんです。

でも、なかなか現実は厳しい。
何を以て立ち直ったというかは、人それぞれだし、一生引きこもりなのかなとかいう不安もあります。
でも、引きこもってたら、何の価値もないのかと言うとそうでもないと思うんです。

確かに金銭面で自立する、社会に出るというのは大切なことです。だけど今の日本の社会で働いて自立していくには心のタフさが求められ、それまで順調にきていた人でも挫折してしまうことがあります。
だから普通の就労だけにこだわるとつらくなると思うのです。ボランティアをしたり家事をしたり福祉的就労で働いたりといろいろな道があるし、どんなご縁があって自立していくかそれは誰にも分らない。だから標準のかたちと比べて嘆いたりするのはやめてあげたいですね。

その子自身は、すごい真剣に必死に「なぜ生きるのか、どう生きるのか」を考えてるはずだから、相当の時間がかかる人もいるけど、いつかは立ち上がるから、それを信じて長い目で見ていきましょうよ。

――あたたかいメッセージありがとうございます。
本日は貴重なお話しを聴かせていただき、ありがとございました。

◆ヨーコ
42歳でアスペルガー、46歳で加えて注意欠陥障害と診断される。娘はアスペルガーで小2から中3まで不登校を通した末、今春から通信制サポート校に入学。娘との生活を綴った「小学生で不登校!?~大人と子どもの発達障害~」を運営。

編集後記

ご自身も注意欠陥障害やアスペルガー症候群を抱えながら、お子さんの不登校と向き合わなければならない状況は、毎日神経をすり減らすようなぎりぎりの状態だったのではないだろうかと想像します。
ヨーコさん自身が葛藤して、もがいて、娘をどうにかしてあげたいと思ってやっていたことは、娘のためにならなかったという教訓や、できることなら保護者の方は笑って待つことができたらいい、というお話は、不登校の子どもと向き合う上で参考になるお話だったのではないでしょうか。

また、なつみちゃんが自ら学び、成長しているお話から、不登校になっても絶望しなくていいんですよ!という風に感じることができました。
「娘も完全に立ち上がったというには、まだまだですが、立ったり座ったりしてはります」と仰っていました。
成長速度や、成長分野が人とは少し違うだけ。
ヨーコさんが娘さんとともに、まだまだ変化していく姿を想像し、大変まぶしく感じました。

下記にも、ヨーコさんが執筆された不登校の子に対する考え方のコラムが掲載されています。
「不登校になったら終わり」ですか?かつては我が子を追い詰めた私の答え – LITALICO発達ナビ

ママたちの声を集めて届けるSNSはじめました。

未来地図の公式SNSでは、「ママたちの声を集めたアンケート回答」や「先輩ママたちの経験談」を中心に、さまざまな情報をお届けしています。ぜひフォローしていただけると嬉しいです(*´`)

keyboard_arrow_up