
一歩動き出したのかも そんなお話しませんか
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edit2022.09.06
一歩、いや、半歩かもしれないけれど、
ちょっと動き出したのかも
卒業とは言えない
でも、どん底でもない
動き出したら動き出したで、
親としてもいろんな思いがあって
そんなお話しませんか
みなさんの体験談を教えて下さい
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143224
edit2022.09.06
この1年、包丁を持ち出して死ぬと言う子供を前に、もう限界だった。
大人は信用できない。誰も受け入れない。1年前は担任の先生も自宅に入れる事を拒否して、会わないからと言い続けていて、それでも先生は訪問して下さり無理強いする事なく、まずは自宅に入る。次は一言を声を掛けるては帰宅する。
そのうち居間で一緒に話せるようになり、普通に会話が出来るようになってきた。
担任の先生だけじゃなく訪問支援の方も一緒に訪問してくれるようになり、一緒にゲームして遊ぶ事で心を許せるようになって、この道のりは良い事ばかりではなかったんです。
もう会わない!家には入れないで!の繰り返しがあった上で、学校という場所に復帰させる事が目標でなく、まずは子供の心を回復させる事が優先で、学校に復帰させる事は強要はせず、私もフルタイム勤務しているので訪問支援の先生が来てくれるのも夜しか無理で、先日は初めて子供が1人でいる時間帯に訪問、玄関の扉を自分から開けて招き入れてくれました。
家には入れるな!の会いたくない!の子供が、自分から扉を開けて一人でも対応出来た事が何より前進したかなぁっと思ったりします。
子どもたちが小さい頃の写真を見ました。子どもたちが楽しそうな写真ばかり。選んでそうゆう写真を残したんだろうけど、子どもたちはのびのび育ってくれたのかもしれない。この頃の土台があればいつか気持ちを立て直してくれる、前を向いて歩んでくれる、自分、子どもたち、今ちゃんと前進していることを信じたいと思いました。
ほんと些細な事だよ。学校に行けてる子は普通の事だけど、我が子はその普通がハードルが高く1歩踏み出すのに何か月と要する。
4月から中学生で学ランの採寸時期、集合採寸には行けないよね。
個別で店に行って欲しいと相談するが、「学校に行くとは決まっていない」とあっけなく撃沈。
採寸すら行けない状態だと入学式も無理だよ。それでも入学式に備えて準備は必要で、登校できない学校の制服を用意する気持ちも親が前向きになれなくて、中古で着れそうな学ランを数点用意してみたり。でもボロボロで最悪これしかないか?
でもね。ようやく採寸に行ってくれたんだよ。新品を新調してか?気持ちが前向きになったのか?
学校は何処?連れてって?とこの一言嬉しいです。部活は何があるの?ちょっと中学も気にはなっているだよね。
以前は登校できなくなってしまった学校の子達と会う事を恐れていた。
何か言われる?顔を合わすのが怖い?それが一番のネックになっていると話していたけど、小さな学校だったからクラスに1人居るか?いないか?だよ。気にする人数ではないし、新しい顔ぶれの方が多いからと話すと、同じ小学校の子が居ても、もう良いけど。
あれ!少しは前向きな気持ちになってきた?ほんのちょっとの事です。
ほんのちょっとの変化が嬉しくなってしまいました。
今日不安ながらも1人でクリニックまで歩いて行けた娘。(私は所用のため現地集合)クリニックからの帰り道、娘が「もしかして私って不安に思いすぎ?」とポツリ。
その後、いつも薬を飲み込めなくて粉かシロップにしてもらっていたけどカプセルにチャレンジして成功。
登校はまだまだだけど、少しずつ自分に自信が持てているんじゃないかな、と嬉しくなった。
昨日、1年ぶりにワークをしてくれた。1学年下の勉強だけど、何度もやり直しての繰り返しだったけど、自分で考えて理解しようと何度も参考を見て、わからないと言いながらも自分で考えようとしていた。
毎日、3枚のワークはしようね。と約束したけど、今日もしてくるだろうか?
前進してるけど、気持ちが晴れない。何故って、もうやらない!といつ言い出すか?
嬉しくなると「もうやらない」の一言で、気持ちが急降下して立ち上がれない。
だから無になっている。
ごんすさんのコメントに感じたこと、
私の一歩ということで。
本当にその通りだと思います。自分の人生を悔いなく生きていくことは大切ですね。母が変われば子が変わる、とは言われるけど、それ以前に子どもを変えるために母が変わるのではなく、母親自身が自分に集中していくことが大事なのでしょうね。
不登校の子どもが劇的に変わるということは簡単ではないと思うので…親の気持ちが上向いてきたら、親自身が自分に向き合う必要があり、そうすることで見える世界が変わってくるのかもしれません。
もうすぐ完全不登校から8年。私と親子2人で家出して9年がたつ。様々なことが今になって過去として頭の中で思い出されます。全てがまるで映画のように感じられ過去になったのだと実感します。完全不登校になってから発作で倒れ何度も何度も倒れそれでも頑なに病院にはいかずまるで修行僧のように一人で耐える我が子になす術なく見守り続けた日々。
いよいよ体が辛くなったのか病院に行くと言いふらつきながら受診しなんとか薬をもらうところまでこぎ着けた。あれからようやく1年。
勉強とか受験とか将来とかより、今が今こそが私にとって何より大切だと気がついた。
生きてさへいてくれたら。生きて時々笑えあえたらそれ以上何を母親として望むものがあろうかと腹の底から思えるようになった。我が子と共に今を生きる。明日より今を。
そう思えるようになってから気がついたら2人で良く笑うようになった。
この命尽きるまで私は我が子の一番の味方でいる。それが私の使命です。
今日の晩の平和な出来事。私と娘はテレビでアニメを見て、休学中の息子は部屋で友達と電話しながら、たまに笑ったり穏やかにゲームをしていました。
最近の休学中の息子は、毎日午前中におきて作曲活動、洗濯をして、朝昼一緒の食事をしています。今朝は昨晩からつけていたフレンチトーストを、バターをたっぷり使って自分で焼いて食べていました。午後も作曲活動はしている様子、あと音ゲーやゲームをしています。
会話らしい会話はないしお風呂は滅多に入らないけど、学校や勉強を抜かせば平凡で平和な毎日。学校いかなくても、勉強しなくても、別にいいんじゃないかと思えてきます。
息子はまだ17歳、18歳になったら先のことを考えよう、将来について話し合おう、それまでは心穏やかに平凡にすごしてもらいたい、今日はそう思えた1日でした。
成人式で帰省した娘と
不登校児(通信1年生)の息子と私で
ストレス発散にカラオケに
行きました
(ほぼ外出なし、病院も行かない息子)
この何年も同級生とは縁を断ち
カラオケなんて小さい頃行った以来の息子
それでも一緒に行ったことに
涙出そうで
マイク持ってる
歌ってる
そんなことすら嬉しい
まだまだ同級生とは縁遠いですが
家族がまずは第一歩の社会
私達で見守り
そこから
次のスモールステップ踏んで
くれたらな と
思えた昨日でした
そして今朝
彼は早起きして(いつもは昼起き)
着物姿の姉との写真を撮ってくれました
4年先の彼の成人式は
どうなるやらですが
またそのときまでそのとっておきます
勉強はしても良い!と言い始めた息子。いつから始める?と聞くと、ワークを買ってきてくれたら、いつでもやるよ。
嬉しい気持ちがあっても期待は禁物。期待するとやらなかった時に、一気に気持ちが急降下してしまう。
約束したのにって気持ちが全面に出てしまうと、子供が後退してしまうから、いつも気持ちはセーブ状態。
1歩進んだと思ったら2歩下がる事なんて普通にあるのが不登校あるある。
焦るな。焦るな。圧を強くするな。
する気持ちになっただけでも前進だよ。前進!前進!
気持ちだけでも前進!
小4から行き渋り。小5の夏休み明けから完全不登校中の中2の娘がいます。
「学校」という場所から完全に離れ、もうすぐ4年目に突入です。
不登校初期の頃には、朝起きれなかったりひどい頭痛に襲われたり、貧血症状が出たりと…身体的症状に悩まされていました。顔は青白く、運動をしていないから体力はない。正義感が強くて、自分の気持ちを曲げることができないからこそ、心の中での葛藤は相当なものだったのではないかと思います。
ある時、娘のノートをふと見てしまって。「家から飛び出したい衝動にかられた」と書いてあって、血の気が引いたのを今でも思い出しては辛い気持ちになります。
小学校の卒業式は、当初時間をずらしての参加を本人承諾のもと予定していました。間際になって靴下をはこうとしていた手がピタリと止まったまま、涙が止まらなくなりベッドに潜り込んで「やっぱり行けない。…行けなくてごめん。」と泣き続ける娘の背中をずっとさすり続けました。
そんな娘も、有り余る時間の中で自分の好きなこと・興味のあることに時間を費やし、自分の性格や特性と折り合いをつけながら来春からは進路選択の年です。
「大学行きたいから、高校は行く」と、現在は小5のドリルと向き合っています。
中学3年間不登校で現在通信制高校2年の息子のときからお世話になっているSSWさんが親身になってくれ、娘宛に家庭訪問をしながら勉強を見てくれています。
2年前までは、このSSWさんとも襖越しにしか話せない状態でしたが、今ではマンツーマンで一緒に勉強できるようになりました。
「クラスの女子の中で一番バカだ」と言いながら、泣きながらわからない宿題に取り組んでいた娘が、自分が学校へ行かなくなった頃の学習内容と自ら向き合うようになるなんて、渦中には微塵も考えられないことでした。
もうすぐ中3の子が、小5のドリルと向き合う。普通に考えたら「え?それで大丈夫なの?」と思う方もいるでしょう。というか、普通に学校へ登校している受験生の親御さんはだいたいの人がこう思うでしょう。
でも、娘にとっては、これが大きな成長で大きな一歩。
「なりたいものがたくさんありすぎて、困ってる」と話す娘に、学校では学べないような経験を、ひとり親だけどできるだけたくさん体験させてあげたいと切に思っています。
大学でも半期不登校のち五月雨登校で卒業危うい
が去年から始めたスーパーのバイトは休まず
彼女は語ります
中学から病気にもなって母さんには
散々迷惑かけたので好きなことして下さいと
その言葉だけで十分です
あなたはしっかり動いてますよ
こんどは長い間動いてなかった私が動く番です
私も、自分の気持ちが一歩進んだという事で。
不登校息子の今後の人生は心配。
だけど私にも自分の人生がある。
あと何年生きるのかわからないけど、自分の人生も大事にして楽しく生きていかないともったいない。
他人から見た自分が幸せかどうかで無く、自分が今幸せと感じているか。
しっかり自分と向き合って私だけの人生を歩きたいな‥‥と思えてきた。
私の気持ちの一歩ということで。
昨年は不登校初期のような混乱だった我が家。入浴するなど前進はあったのですが、他の問題が出てきて不安が酷く…私のメンタルがおかしくなり仕事に行けなくなり…。涙は拭っても拭っても止まらないんだ、脱水症にもならないんだと知った昨年の暗闇を経て、不登校の息子は、高くジャンプするために屈んでいるときなんだと思い始めました。
命に関わること以外は、やり直しができる。子どもは成長途中だから、これからいくらでも変化していく。正解はわからないし、正解を求めなくてもいい。
息子の心配は尽きず未来が怖いのですが、私ができることは子どもを大切に育てることだけ。
また闇落ちして自暴自棄になるかもしれませんが、今年もよろしくお願いします。
バイト、なかなか受からないですよね。
うちはじゃない子の方も簡単に受からなくて、ちょっと凹みました。だったら急募って書くなよ!って言ってました😅
お子さん、せっかく一歩踏み出したんだから受からせてあげたい!!です。
ファミレス系は受かりやすいかもです!
小規模スーパーバイトの面接に行くって。
受かる気満々。でも、たぶん不採用。
一歩踏み出したけど、三歩下がるだろうな。
2年前のお正月は、完全に引きこもっていた息子は家に置いて、親戚の集まりに行った。
辛くて何度か目に涙を溜めてはばれないように過ごした。
1年前の去年、息子が完全引きこもりから、集まりに行く!と決心して外に出た、もはや、記念日。
そして今年。引きこもりからは抜け出せたけど、学校へは数回しか行けなかった。そして、弟も不登校になった。でも、家族でこたつでドンジャラして、イカゲーム2観て過ごした。
またどんな1年になるかわからないけど、もう、不登校前のような期待は、良い意味でも悪い意味でもない。たぶん、一年後も、亀の歩みで失敗の連続。苦しくても、息つぎするみたいに、たまに小さな幸せを実感出来ればそれで良し。
その息つぎすら出来きない時期もあったことを忘れずに、過ごしていきたいです。
今年もまたよろしくお願いいたします。
息子が1人で初詣に出かけて行きました。びっくり。
娘はまだまだだけど、母の私が1歩動き出したかも?
娘が不登校になり、ラジオや歌詞のある音楽は長い事聞けなかった。話の内容や歌詞がいちいち突き刺さり苦しくて辛くて、、
そんななか唯一大丈夫だったのがハワイアンミュージック。とにかく陽気で心地よく、ハワイ語の歌詞は分からないしちょうど良かった。
けど気づけばまたラジオを聞くようになり、歌も音楽も何も気にせず聞いている!
現実逃避してる状況に変わりはないけど、どん底に沈んでいた頃よりは少しだけ上がってきたのかな。
来年は娘も動き出してくれたらいいな、、!
明日、別室クラスで遠足です 本来ならクラスで行っていたものを先生達の配慮で行ける事になりました クラスの子達も内の子も楽しそうに準備しています 何だか何処にでもいる中学生に思えて うれしい! と言う感情が久々に蘇ってきました もう別室でいいからこんな感じで過ごして欲しいです 笑顔が見れて良かった