
娘が死にたいを繰り返します
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edit2025.08.19
6月のはじめに、死のうとしてから、月1ペースで、死のうとする日がやってきます
先月2度目に死にたいと言った時は、2週間くらい続き、子どもでは一番多い量の薬が出され、もうこれ以上自宅で診るのは無理だというところまでいきました
そこから、なんとか元気になってホッとしていたのですが、また、3度目の「死にたい」がやってきてしまいました
診療内科の先生の話しだと、2度目の「死にたい」の後、薬の量に対して、元気すぎたそうです
死にたくなった理由は、小学校一年生からのいじめです
最初は無視で、それほどひどくなかったようなのですが、4年生から少しずつひどくなり、6年生になり、クラス委員になってから、さらに酷くなったそうです。いじめは先生や大人のいないところで行われており、娘も私の前ではあかるくしていました。先生は気付いていたようなのですが、何もしなかったようです。
娘の中学は、小学校のクラスがそのまま中学に場所をかえただけのようなかんじで、顔ぶれに変化はありません。
入学式の直前に、急に別の中学がいいと言われ、理由を聞いても、特に何も言わず、そのまま入学。
4月末に、急に学校に行きたくないと言い出し、いじめのことを初めて言われました。先生に相談したところ、いじめに関しては個人の問題。だから、加害者が誰なのか調べたければ、警察に連絡して下さいと言われました。
ただ、娘がいじめを受けている相手との距離はできるだけ離し、接する機会を減らす。全力でサポートすると言われ、その言葉を信じ登校をするようになりました。
それから、3週間後、学校に行きたくないという理由で、娘は自殺を図りました。「川に飛び込んで死ぬ」と言って、家を飛び出ました。途中、知り合いと会い車で追いかけたので、間に合いましたが、ギリギリのところでした。
後で、知ったのですが、学年主任は私の前では、加害者と離す、保健室や相談室だけでいいと言ったのに、実際には、わざと席や課外活動のグループを一緒にしたり、クラス委員だった娘の補佐を加害者にするなど、常に一緒にいる状況にし、娘が頼んでも保健室に行かせてくれず、早退をさせないどころか、遅れていた分のワークなどを残ってやらせていたそうです
2度目は、7月の始め、適応教室入室に向けて、教育相談を受けた直後でした。学年主任と担任の名前を聞かれたとたんパニックになり、そのまま、死にたいとなりました
適応教室やフリースクールに通うとしても、中学の先生との連携が必要です。担任、学年主任、加害者の名前が出ただけでパニックになるなら、たとえ登校できなくても、学校だけはかえようと、2学期から転校することにし、楽しみにしていたのですが・・・
やはり、3度目がきてしまいました
きっかけは、転校を知ったクラスメイトからのLINEでした。その子は、いわゆる放置児で、仲間外れで辛い思いをしている娘に対し、優しく声をかけ、たくさんのお菓子を買わせていた子でした。
早くLINEを返さなきゃ既読スルーになると言って過呼吸になり、そこから、気持ちが落ちました
娘が暴れるのは一時間目が始まる時間、昼休み、放課後が始まる時間です
一時間目が始まる時間なのは、保健室だけで帰ろうとするのを無理矢理、授業を受けさせられたため、昼休みは小学校時代は、無視と仲間外れで教室に行き場所がなく、保健室で過ごしていて、中学では、学年主任から保健室や相談室に行くのを止められ、居場所をさがして彷徨っていたためのようです
うちはシングルで、両親も他界していて頼れる身内がいません。いじめがひどくなった時がちょうど私の父親の病気が悪化した時で、娘は私に心配をかけてはいけないと、必死で明るくしていたようです。
習い事の友達との姿は、本当に元気で、6年間通った学童でも、迎えに行くと、元気に校庭を走りまわっていたので、娘の辛さに気づけませんでした
学童や習い事の後の元気な姿を見た後、勉強やゲームのことなど、きつく注意したこともあります。いじめにあい、それでも頑張って明るくし、そして、怒られる、娘がどんなに辛かったかと思うと、何もできなかったことが情けないです
転校するので、もう、いじめの加害者にあうことも、わざと娘が苦しくなるようなことをした学年主任にも、「私もあの子にいじめられてるから、一緒に耐えよう」とおかしな励まし方をした担任とも会うことはありません
転校先でも不登校で適応教室やフリースクールに通うことになってもいい
保健室だけで帰ってきてもいい
どうか「死にたい」となるのが、今回が最後であってほしい。今回の「死にたい」の辛さが軽くあってほしい。一日も早く気持ちが切り替わってほしい。
今は、そう願うだけです
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コメント一覧
2件の投稿を表示中1-2件目(全2件)
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こんにちは。21歳息子がいます。高1から不登校になり、現在は療養中です。
息子も、小3から希死念慮がありました。
高1で不登校になって、本人から「死にたい」というlineが来るまで、気づきませんでした。
飛び込んでいたらどうしようと動悸を抑えながら車で走ったこともあります。
中3のまだ登校していた頃、いじめられているという息子に、「受験もあるし、学校は毎日行った方がいい。でも、生きるか死ぬかってくらいつらいなら、休んでもいい。」そう言ったことがあります。そのときは、まだ深く考えていませんでした。
あのときは、生きて笑っていてくれたらそれでいい、そう思っていたけれど、ちょっと安定してきた最近では、このとき「休んでもいい」と言ってしまったから、逃げるようになってしまったのかな…なんて思うこともあります。
大学で挽回しようと上京し、挫折し、戻ってきた頃が一番病んでいました。
死ぬための道具を買ってきて隠していたり、精神科に半日だけですが入院したりしました。
「精神科救急情報センター 〇〇(都道府県名)」で検索してみてください。
様子が本格的におかしい、今すぐ受診した方がいいのだろうか、そんな風に迷ったとき、私は↑を検索して、泣きながら電話しました。
電話を受けた方は落ち着いて話を聞いてくださり、かかりつけの精神科があったのですが、そこは入院病棟もあるところだから日曜日でも夜間でも電話は通じるはず、そこに電話して症状を話して、受診した方がいいかどうか聞いてみるといいですよと勧められました。
そのときにいろいろと調べたり、お医者さんの話を聞いたり、カウンセラーさんに相談しました。そこで意外だったのは、
「「死にたい」という気持ちを否定してはいけない。」ということです。
死にたいと思ってしまう、それ自体を怒ったり責めたり過剰に悲しんだりすると、言えなくなってしまうからです。
ただ、ハプニング(本当は死ぬつもりはなかったのに失敗して本当に死んでしまうこと)で死んでしまうことがあるから怖いのだと。
気持ち自体は否定も肯定もせずに受け止めて、本人の気持ちが落ち着くようにフォローしていくことがよいのだと。
娘さん、辛い気持ちをお母さんに話せていて、トピ主さんも娘さんのために居場所を変えようと一生懸命対応なさっています。
娘さんにとっての敵(加害者など)は、お母さんにとっても敵で、同じ気持ちで共感してわかってあげているし。
新しい環境で、少しでも楽しいことがあるといいですね。
でももしも、新しい環境でうまくいかなくても。
死にたい、という気持ちがまた出てきてしまったとしても。
その都度、お母さんは味方だよ、というメッセージを伝え続けることが大事かなと、私も、そうしたいなと、思っています。
そうすれば、きっといつか、
あのときは、生きてさえいてくれたらいい、そう思っていたけれど、
今はもっといろいろなことができるようになってほしいなぁ
なんて、次の欲求が出てくる段階になりますよ。
はなももさん こんにちは
はなももさんも娘さんもお辛いですね。
そしてお二人とも日々頑張っていますね。
お話を読んで、お会いしたこともない私ですら、とても胸が苦しくなりました。
娘さんの辛い日々を知ったときの、はなももさんのお気持ちを想像したら、胸が張り裂けそうです。
『どうか「死にたい」となるのが、今回が最後であってほしい。今回の「死にたい」の辛さが軽くあってほしい。一日も早く気持ちが切り替わってほしい。
今は、そう願うだけです』
本当に本当にそうですね。今はそれだけですね。
2学期からの転校とは具体的にいつからですか?
転校すればもう、前在籍校のクズバカ人間たちとは関わらずに済むのですよね。
娘さんの携帯のLINEも変え、電話番号のショートメッセージや着信も有り得るので念のため電話番号も変えて、以前のクズバカ人間関係はシャットアウトしましょう。
もうしてるかもしれませんね。
もし可能なら、転校先への初登校は焦らずに、しばらく、はなももさんとお家でのんびりしたり好きな事だけをして過ごせたら良いですが、はなももさんはシングルとのことですので、お仕事などもおありでしたら、ずっと娘さんと一緒にいることは難しいですよね。
心療内科の先生に相談して、一度入院も検討した方が良いかもしれませんね。
もちろん娘さん本人の気持ち最優先で、転校先の学校とも相談の上、転校は2学期早々でなくても可能ならば、はなももさんも娘さんも、今後への充電期間と思って時間を使ってほしいです。
何のお力にもなれなくて無力で苦しいですが、もしはなももさんの気が向いたら、またこちらにつぶやいてくださいね。