mail違反報告 愛読書 4139 22 person苺 edit2023.01.17 子どもの不登校は親も心身を削ります。 ある歌詞やフレーズが胸に刺さることもあります。お勧めの歌や映画がトピックに上がっていますので、お勧めの本や一節を教えていただけたらな、と思い、トピックを立てました。 スポンサーリンク共感し合える仲間と、褒め力アップ始めませんか? 5 local_offer 雑談しましょう 不登校 コメントする コメント一覧 2件の投稿を表示中21-22件目(全22件)12 mail違反報告 schedule約2年前 とくめい 海辺のカフカ昔読みました。でも、内容をほとんど覚えてない。悲しいですね。 もう一度読み返したいです。 本というか絵本なんですが、ヨシタケシンスケさんの絵本にすごく癒されます。 肩の力が抜けるというか、それもありなんだなって思える。 中2、完全不登校中の息子も好きで、お気に入りの言葉は『明日やるよ。すごくやるよ』です。 すごくやる明日はいつ来るのやらですけど。 5 mail違反報告 schedule約2年前 苺 私の愛読書は村上春樹です。 『海辺のカフカ』は、15歳の誕生日を迎えた少年が家を出て遠くの知らない街に行き、小さな図書館の片隅で暮らすようになる物語です。 その冒頭部分 『ある場合には運命っていうのは、絶え間なく進行方向を変える局地的な砂嵐に似ている。君はそれを避けようと足どりを変える。そうすると、嵐も君にあわせるように足どりを変える。何度でも何度でも、まるで夜明け前に死神と踊る不吉なダンスみたいに、それが繰り返される。なぜかといえば、その嵐はどこか遠くからやってきた無関係ななにかじゃないからだ。そいつはつまり、君自身のことなんだ。君の中にあるなにかなんだ。だから君にできることといえば、あきらめてその嵐の中にまっすぐ足を踏み入れ、砂が入らないように目と耳をしっかりふさぎ、一歩一歩とおり抜けていくことだけだ。そこにはおそらく太陽もなく、月もなく、方向もなく、ある場合にはまっとうな時間さえない。そこには骨をくだいたような白く細かい砂が空高く舞っているだけだ。(中略)そして君は実際にそいつをくぐり抜けることになる。その激しい砂嵐を。形而上的で象徴的な砂嵐を。でも形而上的であり象徴的でありながらも、同時にそいつは千の剃刀のようにするどく生身を切り裂くんだ。何人もの人たちがそこで血を流し、君自身もまた血を流すだろう。君は両手にその血を受けるだろう。それは君の血であり、他の人たちの血でもある。そしてその砂嵐が終わった時、どうやって自分がそいつをくぐり抜けて生きのびることができたのか、君にはよく理解できないはずだ。でもひとつだけはっきりしていることがある。その嵐から出てきた君は、そこに足を踏み入れたときの君じゃないっていうことだ。そう、それが砂嵐というものの意味なんだ。』 15歳の1年間を完全不登校で過ごし、紆余曲折ありながら、現在は巣立っていった長男と重なりました。 砂嵐は思春期であり、不登校でした。 村上春樹はこの小説で、15歳なんてまだまだ何者にでもなれる、そんな主人公の姿を描きたかったのだそうです。 16 2件の投稿を表示中21-22件目(全22件)12 コメントを投稿する コメントをするにはログインまたは無料会員登録をしてください。 ログイン無料会員登録
海辺のカフカ昔読みました。でも、内容をほとんど覚えてない。悲しいですね。
もう一度読み返したいです。
本というか絵本なんですが、ヨシタケシンスケさんの絵本にすごく癒されます。
肩の力が抜けるというか、それもありなんだなって思える。
中2、完全不登校中の息子も好きで、お気に入りの言葉は『明日やるよ。すごくやるよ』です。
すごくやる明日はいつ来るのやらですけど。
私の愛読書は村上春樹です。
『海辺のカフカ』は、15歳の誕生日を迎えた少年が家を出て遠くの知らない街に行き、小さな図書館の片隅で暮らすようになる物語です。
その冒頭部分
『ある場合には運命っていうのは、絶え間なく進行方向を変える局地的な砂嵐に似ている。君はそれを避けようと足どりを変える。そうすると、嵐も君にあわせるように足どりを変える。何度でも何度でも、まるで夜明け前に死神と踊る不吉なダンスみたいに、それが繰り返される。なぜかといえば、その嵐はどこか遠くからやってきた無関係ななにかじゃないからだ。そいつはつまり、君自身のことなんだ。君の中にあるなにかなんだ。だから君にできることといえば、あきらめてその嵐の中にまっすぐ足を踏み入れ、砂が入らないように目と耳をしっかりふさぎ、一歩一歩とおり抜けていくことだけだ。そこにはおそらく太陽もなく、月もなく、方向もなく、ある場合にはまっとうな時間さえない。そこには骨をくだいたような白く細かい砂が空高く舞っているだけだ。(中略)そして君は実際にそいつをくぐり抜けることになる。その激しい砂嵐を。形而上的で象徴的な砂嵐を。でも形而上的であり象徴的でありながらも、同時にそいつは千の剃刀のようにするどく生身を切り裂くんだ。何人もの人たちがそこで血を流し、君自身もまた血を流すだろう。君は両手にその血を受けるだろう。それは君の血であり、他の人たちの血でもある。そしてその砂嵐が終わった時、どうやって自分がそいつをくぐり抜けて生きのびることができたのか、君にはよく理解できないはずだ。でもひとつだけはっきりしていることがある。その嵐から出てきた君は、そこに足を踏み入れたときの君じゃないっていうことだ。そう、それが砂嵐というものの意味なんだ。』
15歳の1年間を完全不登校で過ごし、紆余曲折ありながら、現在は巣立っていった長男と重なりました。
砂嵐は思春期であり、不登校でした。
村上春樹はこの小説で、15歳なんてまだまだ何者にでもなれる、そんな主人公の姿を描きたかったのだそうです。