学びの多様化もしくは学歴について
2488 edit2023.12.29
ご意見があったように、不登校も様々なケースがあります。勉強したいけど環境に合わない、または頑張り過ぎて疲れた、などとという場合は環境を変えたり疲れを癒せば高校なり大学なりで復帰できるのかもしれません。
しかし、そもそも勉強したくない、合わない子供達もいて、そういう場合は学校に戻せば解決、というわけには行きません。特に義務教育卒業後は、不登校の解決が学校に戻すこと、という訳ではないはずです。
ただ問題なのは、日本の社会、企業が大卒を優遇していることで、ネット界隈でも「高卒中卒、人生終わり」みたいな意見で溢れていたりします。
実際、18歳人口の半数が大学に行くような時代で大学に行かないことは、よほどの勉強嫌いか、何か問題があるのではと見られたりするんじゃないかと思うこともあります。
そんなふうに今は学歴が昔とは別の意味で重視されすぎて、学歴ルートを外れそうな子供や親の心を必要以上に圧迫しているのではないかと思います。
大学に行く割合がもっと少なかった時代には大卒は誇れる事だった一方、大学に行かない人達も今より社会で自信を持って働いていけてたんじゃないかと想像します。
就職のために猫も杓子も大学、というのは、中途半端な文系人材を増やすだけで、雇用のミスマッチなどから、今の人材不足の原因もそこに少しあるのではないかと思います(もちろん頑張って大学に行っている学生達を批判するものではありません)。
また日本の技術の継承などにとってもいい事だとは思えません。
高卒中卒で中小企業の作業員でも土木作業員でも、生活できる給料をもらって誇りを持って仕事できる社会であるべきです。
企業には今一度、新卒一括採用や学歴重視を考え直していただきたいものです。
我が子がルートを外れたからこその僻みなのかもしれませんし、若者の学歴と就職についての正確な情報を元にした意見でもないので、認識不足なところもあると思いますが、思うところを書かせていただきました。
長文失礼いたしました。
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コメント一覧
8件の投稿を表示中1-8件目(全8件)
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中1の息子が半年前から体調を崩し、今は対人恐怖も出ていて別室登校です。遅刻扱いにしてもらうため、日中は学校に行けないものの、夕方に担任の先生と少し話しに行っています。が、正直体調が悪くなるので、無理に学校行かせるのはどうかと思い始めています。
離婚した旦那は、良い成績で大学まで行き、大手メーカーに勤めていい給与をもらっていましたが、小学校低学年の息子に酔っぱらって「人生我慢だ」と絡み、普段からストレスによる過敏性腸症候群に苦しんでいました。そもそも幸せになる思考を持っていなかったように思います。
その上で思うのは、息子には会社はそもそも向いていない(朝起きられない、対人恐怖・・・)つまり会社に入ってもまず幸せになれない。つまりはそこまでの学歴は要らないのではないかと。
私自身は就職氷河期に当たってしまい、派遣社員で好きな仕事をずっとしておりましたが、最終的に個人事業主として企業の依頼を受けて在宅で仕事をしています。
今の私の仕事も、好きなことを突き詰めた結果ですし、誰も私の学歴を知りません。派遣で入ってから勉強させてもらい、実績を積んだうえで、パワハラを機に会社をやめています。
息子はADHDでゲーム中毒です。小さいころからどこかに連れて行っても好奇心ややる気といったものはなく、単なるナマケモノかと思っていましたが、後々にそういう特性もあると知りました(努力をするという脳の機能がうまく使えてない)。
体調面が心配なのでゲームは時間を決めてやらせていますが、いっそ配信などで稼げるくらいになれば、またはゲームに関連する仕事を見つけることができれば、そこまで学歴にこだわる必要ないのでは?とも考えています。(会社員になるとしても、IT関連の会社は、学歴はあまり関係なく、コミュニケーション障害でも、違う仕事をしていたとしても、必要なスキルと実績が積むことができれば仕事がもらえる文化ではあるので、主人の人生観と全然違うのが印象的でした)
某人気受験漫画の講師の言葉で
「突出した能力がない人ほど勉強はした方がいい」
みたいな内容のセリフ思い出しました。
今の社会じゃ学歴なしで十分な収入を得る方がよほど難しいんですよね。
ちなみに私も偏見とか思い込みじゃないのかと思って客観的事実かどうかを調べるためにデータを見たことがあるのですが
学歴が高い=年収が高い=幸福度が高い
で相関があるみたいです。
まぁやっぱりそうなりますよね。
(ちなみに年収に関しては800万くらいまでは幸福度と比例しますが、それ以上はそこまで伸びないみたいです)
ほんとに今の社会が学歴フィルターとか、学歴重視社会じゃなければ不登校でも大丈夫だって思えるんですけどね。
あと、学校に「行けなくて」学歴がないのと
(起業のために東大中退したホリエモンみたいに)「目的があって学校に行かなくて」学歴がないのとでは全然話が違うかなと思いました。
私は、何をしていたんだろう。
娘が、辛いのに、あそんでばかり、
小さい頃は、なんでも頑張る子でした。
それが、私が、あまり構ってやれず、次第に、笑わなくなり、やる気もなくなり、いつしか不登校。
今更、気づいても、遅いけど、
娘との距離を縮めたいです。
せっかく生まれてきてくれたから、もっと、大事にしたいです。
皆様、ご意見ありがとうございます。
どれもうなずけるものばかりで、いかに私が感情的な甘いことを言っているか、考えさせられました。
いずれにせよ、不登校であるということは、場所か時期か内容か、どこか違うところで努力をしないといけないということ。厳しいけど、それが現実ですね。本人にも早くその認識ができるといいのですが…辛いけど、嫌でもわかる時が来るでしょうか。
苦しいと思いますが、なんとか自分の道を見つけてもらいたいと思います。
日本では一度雇用すると
簡単に解雇できません。
なるべく良い人材を採りたい…そう考えると、短い面接だけではその人の人となりが見えて来ません。
そうなるとある、一定の基準や物差しを持って選別を行う事に落ち着く。
その物差しは、学歴だったり、経歴だったりと採用側が決めること。
選ぶ側も、給与だったり、休日、福利厚生、仕事内容…自分の物差しで決めていく。
物差し自体は悪いものでもなんでもなく、
ある意味公明正大。
誰を採るかは採る側の自由
どこで働くかを選ぶのは働く側の自由
自分がなにを選んで生きていくのか
しっかりと責任ある生き方をすることが大切。
不登校が学歴がどうこうじゃなくて、
自分に力をつけて、生きていくことが一番大切。
あくまで私個人の考えで、偏見もあるかもしれませんが。
大学に行っているということは頑張って勉強した結果だと思います。
もちろん大学にもレベルはあります。
遊んで過ごしている大学生もいるでしょう。
専門学校も同じく、卒業した後の為に頑張って知識や技術を学んでいます。努力してるんですよね。
学歴があるという事は、その人なりに一生懸命努力した時間があって、それを社会に出る時、働く時に評価材料にされるのはもっともだと思っています。
資格や知識がないとできない、大学卒業までの学歴を重視しなければ任せられない仕事はたくさんあります。
簡単にできる仕事ではないはずで、難しい業務内容に見合った給料設定をしているはずで、得に何もしていないけどやる気があるから学歴で判断しないでほしいと言っても、無理なものは無理です。
働きながら覚える事はたくさんありますが、働く前にある程度の知識は持っている前提じゃないと
難しく、その判断材料の一つに○○大学の○○学部を卒業した、○○専門学校に通い資格を取得し卒業したという肩書きが重要視されて、今までの努力の証だと判断されることに疑問は感じません。少なくとも努力した時間があるんです。
それが大企業ならなおさら、中小企業であっても
働くということは決して簡単なことではないからこそ、新卒採用や学歴重視を見直していこうと
いう考えは極端すぎないかな?と思います。
もちろんそれが可能な会社や職種もあるとは思います。
でも学歴は関係なくどんな仕事も胸をはって働き、生活できる給料をもらえたら素晴らしいと思います。
私の弟は高卒です。
時代が違うので今と簡単に比べることはできませんが、高卒でも起業して自分のやりたい事をしています。
結果学歴なんて関係ない人生を送っていますが、お金もなく貧しい一人暮らしをしながら、夢を叶えるために何年も寝る間を惜しんで努力していました。
学歴が必要な仕事なら学業の努力、学歴が必要ないなら学業以外の努力が必要で、どんな仕事でも努力することなく働いて納得のいく給料は貰えないと言うことかなと思います。
我が子も不登校です。サボっている訳では無いですし、学校に行きたくても行けません。
学校という組織が合わないのかもしれません。
心の回復を最優先にして勉強は後回しです。
これが不登校の一般的な支え方だと思うし、立ち止まっている時間は長い人生の中のほんの一部かもしれません。
でも皆が受験勉強している期間に何もしなかった
ことで今後どんな影響が出るのかわかりません。
自立するためにいつかその時間を取り戻すための努力が必要になるかもしれません。その時に努力できる人になっていればそれでいいんです。
報われないかもしれません。不登校を後悔するかもしれません。でもそれを受け入れて生きていける力を養えていればいいんです。
もしかしたら不登校だったことは影響無く生きていけるかもしれません。
でも何かしらの努力は絶対に必要になると思います。
まとまりない文章になってしまいましたが、
私は学歴で評価しない社会を望むのではなく、
一生懸命努力したことが少しでも報われる社会になればいいなと思います。
その為には具体的に何をどう変えていけば良いのかはわかりませんが、、、。
その努力の証の一つが学歴だったり、資格だったり、独学で身につけた知識や人間関係かもしれません。
我が子が不登校でなければ、こんなこと考えもしなかったと思います。
反省猿さんのトピのおかげで社会の在り方とか、簡単に答えはでない難しいことに目を向ける機会ができました。
下の匿名さんと同じように思いました。
現在でも、中卒、高卒で、自分の仕事に誇りを持ち、生活していけるだけの給料をいただいている方々、たくさんいます。
大卒でなければ、なんていう風潮があるように感じるとしたら、まだまだ古き学歴思考を引きずっている、見栄っ張りか、今の大卒の現実を知らない高齢者達かな、と思ってしまいます。(辛口ですみません)
昔と違い新たな起業スタイルもあり、また、一生同じ会社のために尽くすなんていう時代ではなく、自分のスキルで、キャリアアップしていく時代を生きる若者達。
リモートで世界的に活躍したり、一人コツコツ何かを成し遂げたり、「集団」や「学歴」にこだわらずとも、大成功している方々がたくさんいます。
要するに、大学へ行ったからといって、
何も保証はないという時代なんだと思います。
自分で何をしたいか、が分かっていない限りは。
大学進学率は確か6割に届かないくらいですよね。ということは4割以上の人は大学に行っていないことになります。それって結構多いと思います。その4割の人が「問題あり」とは到底思えません。
子どもの不登校を経験して、最も大切なのは「自分自身で生きる力」と感じています。学歴なんてなくてもできる仕事はたくさんあります。
高卒でも中卒でも、給料が安くても、自分の生活を自分で支えている人は立派です。「働く」というのは真っ当なことだと思います。