超難関校に通う息子が不登校!?それでも「家族みんなはいつも通りに過ごそう」と約束をした。【不登校生の保護者インタビュー第10弾】

不登校の子を持つ保護者の方に、我が子との向き合い方を伺う「不登校生の保護者インタビュー」第10弾。
今回は、高校三年生の息子(高校一年生より不登校)と中学三年生の娘を育てるママ。自身のブログ『不登校から幸せな未来へ』を運営している「yuki」さんにお話を伺いました。

はじまりは「お休みしてもいい?」というLINEから

――本日はよろしくお願いします。
  まずは自己紹介をお願いします。

yukiです。
主人と私と高校3年生の息子と中学3年生の娘の四人家族です
不登校になったのは息子の方ですが、4月から進学する大学も決まって、今はのびのびと家で生活しています。

――不登校のはじまりは何だったんでしょうか?

高校1年生の6月ぐらいに、いつも起きる時間に起きてこなくて、部屋からLINEで、「今日お休みしてもいい?」ってメッセージが入ったのが、はじまりだったと思います。

それまで、病気で休むっていう事は少なく、「病院行く?」と聞いたのですが、本人も「寝れば、大丈夫」っていう感じだったので、私もそのまま仕事に出ました。
仕事から帰って、「調子どう?」と聞くと、「明日は行ける」と言っていました。

次の日は学校へ行ったんですけど、それから休む頻度が多くなってきて、1日行くと1日休み、2日休むと1日行くるという感じになりました。

だんだん休む日が多くなっているなって感じたんですが、私は、「息子は調子悪いのかな。どこか病気なのかな。早く治るといいな。」と息子が休む理由は【病気】だと思っていました。

頭だったり、お腹だったり不調を訴える部分の診察のために、いろいろな病院に行きました。
病院から帰ってきて、お薬を飲むと「調子がいいよ。明日は行けそうだ」と言うんです。
でも、次の日になってみると行けないというのを1ヶ月ぐらいは繰り返していました。

先生に言われて息子が不登校なのだと知った

――その時、yukiさんはどんなお気持ちでしたか?

日に日に、勉強が遅れるな…と焦る心が強くなりなした。
「息子は何かの病気だ」と思い病院に連れて行っていましたが、何かが違う、でも何が違うのかがわからない。そんな感じでした。

そうしているうちに、学校の先生に「息子さんのことについてお話ししましょう」ということで、学校へ呼ばれたんです。

そこで、先生に「お家で、息子さんはどんな様子ですか?」と聞かれました。

私は、「病院に行って、薬を飲んで、夜には元気になって、朝は着替えて、用意をして。本人は学校に行きたいって言うんですけど、時間になると体調が悪くなって、なかなか行けなくて…」って話ししたら、先生から、「お母さん、それは不登校ですよ」って言われました。

その時に、「息子が不登校?!」とショックを受けました。

普通の病気とは何かが違うとは思っていましたが、息子が不登校だなんて全く思っていなかったので。

それで、先生に「今までこういう場合、どのぐらいの割合で不登校の生徒は学校に戻ってきていますか?」と伺うと、「ほとんど学校には戻れていません」と言われました。

息子が通う学校は進学校で、不登校に対する手厚いサポートや、保健室登校を認めてくれるような学校ではなくて、教室できちんと授業を受けないと単位を出せないような学校でした。

その時は、私自身、ショックも大きかったのですが、なんとなくぼんやり、息子は病気じゃなく不登校なんだなと腑に落ちたような気持ちもありました。

――息子さんとは何がお話しされましたか?

家に帰り「何か嫌なことがあったの?」と聞いたのですが、決定的な出来事があったようではありませんでした。

ただ、超難関校で、同じ中学から受験した仲がいいお友達が全滅だったこと、誰も知り合いがいなかったこと、そして、中学校までは、事あるごとに学校の代表になったりして、大人が期待するいい子だったのですが、高校に進むと、学力は周りもみんな同じレベルで、できる子ばかりになってしまって、自分が特別ではなくなってしまった、とは漏らしたことがあります。

後から思うと、私が言うのも変ですが、息子は、望めば望むだけよくできる子だったので、私も勉強やスポーツと、なんでも一番になるように、息をつく間もなく走らせ続けてしまった様です。

「学校に戻さなければいけない」という気持ちから、だんだん「可哀そうなことをしてしまった。なんてことをしてしまったんだ。私のせいだ。」と自分を責める感情へと変わっていきました。

それから息子への申し訳ない気持ちから、息子には、「勉強ができるから好きで、学校に行かないから好きじゃないなんてないんだよ。あなたはあなたのままで大好きだよ。」とわかってもらうように努めました。

息子は小さい時から繊細というか、気持ちが弱い面があったので、学校に行けない自分を本人が自己否定をしないように話す時は言葉にも気を付けました。
息子には「不登校」「退学」「中退」とかそういう言葉は絶対使わない様にしました。

休み続ける息子に、学校の事を話す時には、なるべく感情的にならずに、必要な情報として、義務教育とは違って、高校は出席日数とかテストの関係でタイムリミットがあることは伝えました。

――yukiさんはどんなお気持ちでしたか?

私は最初の頃は、「どうして行かないの」と言ったり、ベッドにしがみつく息子を無理やり起こそうとしたりしましたが、行く意思が完全にない。と分かってからは、1人の時に大きい声を出して泣きました。

もう、どうしていいか分からなくて、助けて…と縋る思いでネットを検索しました。
そこで初めて不登校の世界で、たくさん悩んでいる人がいることを知りました。

最初は一方的に読むばかりだったのですが、私も思い切ってブログに息子のことを書いてみたら、「うちもそうです」とか「頑張りましょう」とか励ましてもらって、すごく助けてもらいました。

息子が学校に行かなくなって、私が仕事を休むことが多くなったため、職場の人には、正直に話しました。

みんな「大丈夫だよ」「仕事の事は心配しないで」と受け入れてもらいありがたかったのですが、私を励まそうと「学校なんか行かなくても大丈夫よ」なんて言われると、笑顔で「ありがとう」と答えつつも「私の気持ちはわからないでしょ」と心がやさぐれてしまう自分が嫌でした。

その点、同じ状況で、同じ気持ちを体験している人の言葉には本当に救われました。

――息子さんの家での過ごし方はどうでしたか?

7月の終わりからは、完全に学校に行かなくなりました。
次第に本人も、学校に戻らないと決めたようで、お風呂も入らないし、歯を磨かずに、ゲームばっかりしていました。

自分の部屋の床とか壁とか殴ったり、大きい声出したりすることもあって、私は、声がするたびに部屋の外から「大丈夫?」って声をかけました。

ただ、家族に対して、直接大きい声を出したり、手をあげたりすることはなかったので、息子は部屋の中で必死で感情と戦っている。自分で解決しようとしているんだなって感じました。

だからこの子は【きっと大丈夫】と思っていました。

「今まで通りにいよう」という家族の約束

――家族のかかわり方はどうでしたか?

息子のことを主人に初めて話す時が一番ドキドキしました。
主人は朝から晩まで仕事をしていて、息子が学校に行っているかどうかも知らないまま過ごしていたのですが、さすがに長くなると、もうごまかし切れず、主人にも知らせないと…と腹をくくりました。

私が心配だったのは、息子の不登校の話をすると、主人はびっくりして、息子を殴ったり、怒鳴ったりするんじゃないかと思っていたんです。

だから実際に話をする前に「もしも、このことで、今後息子に怒鳴ったり暴力を振るうようなことをしたら、私は子どもを連れて出て行きますから」って釘を刺しました。
その後で「息子が学校に行けてないこと、もう戻るのは難しいこと」を話しました。
主人が段々怖い顔に変わっていきましたが、息子を怒ったりはしませんでした。

後になって主人に、「よくあの時息子に怒らなかったね?」と聞くと、主人は、「本当に息子を連れて出ていきそうだったからね。」と笑って答えました。

それから、息子は家で過ごす様になるのですが、私が息子の前で心を乱さずに過ごせたのは、娘のおかげでした。

よくできるお兄ちゃんは娘にとってかっこいいスーパーマンで自慢でした。

その娘に、「なんでお兄ちゃんは学校に行かないの?」って聞かれたので、「心の病気で、学校に行けないの。このままだと、学校を辞めることになるけど、あなたのかっこいいお兄ちゃんであることは変わりないからね」ということを伝えました。

娘が「治るの?」と聞くから、「きっとみんなが今まで通りでいるのが一番のお薬だよ」と言いました。

娘はその時大泣きしましたが、泣いたのはその時だけで、その後は今までと全く変わらず、大好きな自分の自慢のお兄ちゃんとして接するんです。
その姿に本当に救われました。

息子を救うために、いつも通りの家族でいようと約束してから、部屋にこもる息子に「ケーキ食べるよ!」とか「人生ゲームしようよ!」って、なるべくリビングに息子を誘い出しました。
息子はテンション低く部屋から出てくるんですが、私も主人も娘もみんなで喋ったり歌ったり踊ったり、とにかく盛り上げました。

息子が部屋に戻ったら、クタクタでぐったりでしたが、それでも誰も文句ひとつ言わず頑張りました。

――息子さんのその後の進路はどうでしたか?

結局、その高校は辞めて、通信制の高校に編入しましたが、そこにも登校はしていません。

前の高校を辞める時に、今後について話をしました。
もし、この先、何かやりたいことが出来た時に、高校卒業は前提になることが多いから、今のうちに高校卒業するっていうところまではやっておこうということにはなりました。

通信制の高校も、色々見た中で一番ゆるいところを選びました。
うちはサポート校にしたのですが、単位を取ることが目的だったので、レポートを出してスクーリングさえすれば学校へ行く日は、ゼロでもいいみたいな学校にしました。

転学後1年分のレポート課題をまとめて渡されましたが、もともと勉強は好きな子だったので、1ヶ月ぐらいで全部終わってしまいました。

この子が望めばきっとすぐ取り戻せると、勉強の遅れは特に気になりませんでしたが、必要以上に外に行くこともなくほとんど家で過ごし、このまま家で過ごすのかなと不安な日は続きました。

不登校の終わりは子離れの時

――大学について何かお話はされていましたか?

日常生活の中で、「自分の最終学歴は自分の力で書きかえなさいね」と息子には話していました。

「中卒でも構わない。通信制の高校卒業でも構わない。大学受験しても構わない。年齢的に親が助けてあげられるうちに考えなさいね。」と話しました。
理解あるふりをしましたが、本当は息子本人に進路を任せるのは不安でした。

手を離したのがよかったのか、たまに行く通信制のサポート校の先生に、「ここを卒業したら、自分が不登校を体験したので、心のことを勉強したい」と言った様です。

それならばと先生がサポートをして下さり、受験する大学を決め、大学の願書をもってかえって来ました。
「どこ受けるの?願書見せて」って声をかけたら、「大丈夫。これは自分でやるから」と息子は拒みました。

初めてきっぱり拒まれて、はっとしました。
「この子は自分で頑張ろうとしている。私が子離れしないとね。」と。
結局、大学の手続きについて私が見たのは、合格証書と入学金の振込用紙くらいでしたね。

――息子さんが前向きになってきたのには、何かきっかけがあったのでしょうか?

前向きなことを考えられるようになったのは、ここ数ヶ月ですが、多分年齢的なものだと思います。
高校を辞めてから息子は、「こんな姿を誰にも見られたくない。もうこの町にはいたくない。だから外にも出たくない。」と思っていたようです。

でも、だからと言ってどこで何ができる訳でもない。
だから高校を卒業のタイミングで家を出ることを支えにじっと耐えていた様に見えました。
もしかして大学に行きたいっていうより、ここから出ていきたかったのだと思います。

高校3年生になると進路も選ぶことができ、この町から出れる!と先が見えてきたんじゃないかなと思います。

「不登校でも大事な息子。」不登校の子を持つ保護者の方へのメッセージ

――最後に不登校の子を持つ保護者の方に何かメッセージをもらえますか?

子どもが学校に行かなくなって、私は「子どものために」と言いながら、必死で自分のプライドや地位を守ろうとしていました。
学校に行かない子どもを恥ずかしいとか情けないとかそんな気持ちは自分自身の問題で、目の前にいるのは私の大切な息子でした。

学校に行かないと価値がないのか。恥ずかしいのか。いいえ私はこの子の親で幸せだと胸を張って生きようと強く決心しました。
もちろんすぐにこの心になれた訳ではありません。

子どもが一日で元に戻るわけがないように、私も一日でいい親になんかなれませんでした。
だけどそれでよくて…。私も子供も自分のペースで生きればそれでよかったんです。

今、辛い時期かもしれませんが、子どももそして私達親も、未来への進み方はどんな方法でも、かかる時間が早くても遅くてもそしてゴールはどんな場所でも、すべて正解。

一つも間違いはありません。

社会のつくったものさしで計らずに、各々のペースで焦らずにゆっくり進んでくださいね。

――あたたかいメッセージありがとうございます。
  本日は貴重なお話しを聴かせていただき、ありがとございました。

◆ yuki
高校三年生の息子(高校一年生より不登校)と中学三年生の娘を育てるママ。自身のブログ 『不登校から幸せな未来へ』にて子育て経験談を赤裸々に綴っています。不登校ママサロンスタッフとしても活躍中。
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