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起きたら、シャワー、そしてゲームSwitch、食事して、シャワー、そしてYouTube、時間バラバラ

2645 9 person edit2021.10.11

中学3年生の男の子です。忘れもしない今年の4月30日、学校から連絡があり息子さんが来ていないと連絡があり、昼前に、教職員の方から海で一人でいる所を保護して頂き、現場に駆けつけ、何処に居たのかをとうと、山に上がっていたと、そして海に降りたと、今日は、誰にも会いたくなかったと、そして、家に連れて帰り、ほとんど話さなくなりわけわからず、不登校に対して当時無知だった私は、何とか進路もあるし彼の気持ちも考えず背中を押すほど悪循環でした。サッカー部の副キャプテン、10番のプレッシャーがもしかしたらあったのではないかと最近、同級生の話でわかった様な感じです。5月、6月は、多少筋トレをしていましたが、学校には行けず、そんなときに限ってサッカー部が大会で優勝してしまい、俺が居なくてもと思ったのか全く体を動かすことも無くなりゲームばかりです。3年生であり進路も気になり仕事も手に付きません。何かあったら全力でサポートする事は伝えてますが、話してくれません。不登校について色々調べ、あの子自信が輝いてくれたらと思う毎日です。信じて、任せ、待つつもりではいるんですが、不安な日々を過ごしている親父です。
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コメント一覧

  • 父親
    schedule約2年前

    雨のちくもりさん、ありがとうございます。ですね、我が子を信じ任せて待ちたいと、あの子が、光り輝いて貰えれば、それでいいと思う次第です❗️

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  • schedule約2年前
    雨のちくもり

    こんばんは。息子さんがあまり自分から話さないと訳が分からず不安ですね。そういう時は、私は状況から類推して、こうなんだろうと仮定して、自分を落ち着かせることにしています。子ども本人だって整理できてない時もありますから。
     知り合いの息子さんが、高校まで続けたサッカーの最後の大会の前に辞めたという話を聞きました。最後までやったらいいのにというのが親心ですが、息子さんは、チームメイトほどやる気も熱量もない。今辞めるのが正解とチームメイトにも説明したそうです。

     息子さんが休んでる間にチームが優勝したということは、強豪校なのでしょうか。そうでなくても、役職があるとストレスやプレッシャーもあり、もし周りとの温度差があると疎外感も半端ないのではと想像しました。
     不登校の原因ははっきりしなくても、いいと思います。うちの娘は文化祭でキャストをやり、宣伝用のイラストをいっぱい描いて、充実した直後に朝起きれなくなりました。疲れきっていただろうことは予想できました。その1年半後に中退。今も昼まで寝て、好きな声優の実況ラジオを聞き、見たいアニメを次々録画して、見る生活が2年近くになります。知的好奇心はあり、クイズ番組を見ながら、これはどうなんだろうと話し合っています。思春期外来に、娘のことで相談に行ったとき、趣味があって家族とご飯を食べて、好奇心もある。それはとても健康ですよ、と教えてもらいました。

     息子さんも疲れて、だらだらしたい時期なのではないでしょうか。休養時期だと割りきって、進路のプレッシャーからお父さんも自分を解放されたら、どうでしょうか。周りと同じように生きるだけが人生ではないですよ。いったんレールを降りることで、立ち止まって自分を見つめ直す勇気を持っているお子さんだと私は思います。

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  • 父親
    schedule約2年前

    まりもさん、ありがとうございます。色々な症状があるんですね。何か話しをしてくれたらいいんですが、会話してくれず、小学校の時は明るかったんですが、中学の2年位からあんまり話さなくなりました。その頃から気付いてやればと、そうですよね、さなぎなんですよね、ふかしたら誰よりも強くて、綺麗な、蝶になることを信じて見守って行こうと思います。ありがとうございました❗️

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  • schedule約2年前
    まりも

    虹さん、こんにちは。
    不登校1年と1月の中2男子の母です。
    うちの息子もなりました。
    離人症、解離性健忘はストレスがかかりすぎた時に起こしてくる症状です。うたの息子は学年が上がったときに学校に復活し、一週間過ぎた頃登校途中に記憶を無くし、数時間後にはっと気付いてここどこ?なんで?となったようです。自転車通学していましたが、自転車はいつもの自転車置き場に止めていました。何事もなかったから良かったですが、親はとても心配ですよね。
    初めはまたなったらどうしようとすごく不安に思っていたようですが、息子のゲームネット友達に何人か俺もなったよ、という不登校の生徒がいてとても安心したようです。
    それからはなるべく本人がストレスになることを無理強いしないように対応しました。以降は起こっていません。心療内科で薬を数ヶ月飲みましたが、これといって効果も無く、学校には復帰できていません。
    一番は子供のストレスを軽くすることが必要なことだと思います。
    一学期は週に何日か午後だけ行ったりもしましたが、夏休み明けから行こうとしても、身体が動かないと言い始め、今は私が不登校専門の臨床心理士の先生といろいろ相談しながら家の中を子供の安全基地にするために親の意識改革に頑張っています。信頼関係ができてくると、家の中では元気にごはんも食べたり遊んだりしています。完全昼夜逆転で、ゲームざんまいですが、これも子供にとっては必要なことなのだそうです。
    親だけで対応することはとても大変です。子供だけでなく、親も是非とも不登校の専門家で信頼のおけるかたにつながることが必要なことと実感しました。私は市の教育委員会の適応教室の教育相談を利用しています。

    大事に育てた子供です。絶対に復活することを信じて今はサナギなんだ、と見守っています。
    お互い、子供を信じて頑張りましょう。

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  • 父親
    schedule約2年前

    私も自分に言い聞かせていますが、いつもソワソワ・イライラしています。

    最近読んだ未来地図の書き込みで参考になったものがあります。
    未来地図の「掲示板」の「みんなの体験聞かせて」のところに
    「高校進学のもう一つの選択」というお父さんのトピックです。

    その中に
    「子供が家にいる間は、親の高感度アンテナを子供に向けないでほしい。」
    と書いてあります。参考に読んでみてください。
    私は思い当たる節があり参考になりました。

    では

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  • schedule約2年前

    kendoさん、ありがとうございます。ですね、わかっているのですが、中々鈍と構えることが出来ず、情けない親父です。待てよ 耐えろよ 焦るなよ 心がけてみます!

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  • 父親
    schedule約2年前

    中一男子父です。
    不安になるお気持ちよくわかります。私も不登校について色々調べ、このサイトにたどり着き、お世話になっています。

    お父さんが「仕事も手に付かず、不安な日々を過ごしている」とすると、その気持ちはお子さんに伝わってしまうかもしれません。信じて、任せ、待ちましょう!

    『待てよ耐えろよ焦るなよ』
    このサイトのお母さんに教えてもらいました。

    偉そうにスミマセン。

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  • schedule約2年前

    パンダママさん、ありがとうございます。離人症知りませんでした。6月に病院行くかと話したとき、俺は行かないと言ったもんで病院には行ってないので、精神疾患があるのかどうか不安なとこです。3月にサッカーの試合でクロスプレーで相手選手の頭が鼻に当たり鼻骨にひびが入ってしまい、脳に異常があるのか、本当に色々考えてしまいます。ただいまおもうと、こうなる前から、学校楽しくない、俺休みないからと言ってました。sos出してたんだと、今更ながら思います。日々悔やみますが時間は巻き戻せませんし、未来を彼の未来は、絶体に栄光に満ち溢れている未来を信じ、親、本当に木の上で見守る事しか出来ない親父ですが、息子を信じたいと思います。ありがとうございました。

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  • schedule約2年前
    ぱんだママ

    虹さん、こんばんは。心配でお辛いですよね。

    私の現在中3の長男が、3年前の中3のときと似ています。
    うちは中3の5月19日に、学校から長男が来ていないと電話があり、
    夜になっても帰らないので警察に連絡し、先生方や家族で大捜索。
    夜の9時に自分で帰ってきました。

    気づいたら、10キロ以上歩いて、都会へ着いていたそうです。離人症と診断されました。
    それから中学卒業まで完全不登校でした。

    今から思うと、もともと地元中が合わず、無理矢理中3までなんとか通っていましたが、
    受験の年に入って、そのプレッシャーや、修学旅行や定期考査、体育大会などジェットコースターのように
    次々に襲う行事に疲れ果てたこと、あとその頃は主人と私があまりうまくいっておらず、
    家庭がギスギスしていたことなど、いくつかの要因があったと思います。
    ゴルフをしていて、スポーツ推薦の話もあったのですが、まだそこまで自信が持てなかったようです。

    学校には行かなければならない気持ちがあるのに行けないことに苦しんでいたので、
    1ヶ月家で休み、7月からフリースクールに転校しました。

    1年かけて、少しずつ元気を取り戻し、色々ありましたが、細々と勉強を続け、なんとか高校受験までたどりつき、たまたま行くことになった全日制高校が合っていて、現在に至ります。

    あの1年は色々ありすぎて語りつくせませんが、何度も長男の死を覚悟したし、一つ言えることは、生きてここまで辿りついてくれてよかったということです。

    来年からは地方のスポーツ大学に進学が決まっています。

    あの頃は、3年後に笑っていられるなんて想像できなかったし、母である自分を責めたてました。

    でも必ず変わるときが来ます。それがいつかはその子によりますが、信じて待っていてくださいね。

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