母親
自分の親との関係
1406 edit2023.07.22
「すべては親の責任。何をやっとるんだ、そんな情けない子どもに育てやがって。クソにはハエ。相手(夫)があれなら所詮そんなもんやろうな。腐った目をして。あんなクソみたいな学校にしか行けへんのか、」等など言う父の言葉が私の頭の中をグルグルと渦巻きます。
これは一例で、昔からずっとこの様な言葉を言われ育ってきました。なので、容易にこの様な言葉が頭をよぎり、口が裂けても息子が不登校である事は言えません。
母は、とても正しい人、善人です。と思って育ちました。子ども時代、母の言葉は絶対で、母の足音が近づいてくるだけで心臓がキュッとなり、息を潜め足音が遠ざかるのを待つ。まるで蛇に睨まれたカエルの様でした。
喧嘩の絶えない家庭で、私は母の愚痴の聞き役でした。絶えず、親の顔色を伺い、どの発言が正しいのかを考えて口にしていました。また、どうすれば雰囲気がマシになるかと、自分はピエロの様におどけて見せたりしていました。
そして、自分はいつも家のオマケだと感じていました。母の娘、父の娘、姉の妹…。
自分が何が好きかも分からなくて、これは好きで合ってるのかな?と母の判断がいつも頭をよぎりました。
私はアダルトチルドレンです。
夫と結婚し、実家から出て、随分と生きやすくなりました。自分で自分を認められる様になったつもりでいました。
でも、子育てで躓いた時、自分がどの様に育てられたかを思い返すと、全くお手本にならず、とても混乱するのです。
夫は私の苦しみを理解し、大変だったな、と話を聞いてくれます。
それでも、もう少し吐き出したくて、スミマセン、ここに書かせてもらいました。
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コメント一覧
4件の投稿を表示中1-4件目(全4件)
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私もどうしても親のことが頭から離れません。
アル中の父。その父が悪いことを起こさないよう必死でフォローする母。子どもの頃、両親に仲良くして欲しいと訴えたこともありましたが、夫婦喧嘩が絶えず、私は子どもの頃、年相応のわがままを言ったりできるような環境ではありませんでした。私は父の対応で疲れてる母の精神的なフォローをしてたと思います。父に対する母の悩みを聞き、おどけて見せて場を和ませ、兄は良い子判定だったので、叱られるのはいつも私。リビングで何時間も立ちっぱなしのまま叱責され、最終的には立ちくらみで倒れたけど家族誰も助けてくれなかった。
アダルトチルドレンなのかもしれません。
母は父のこと以外で心配事を増やしたくないのか、私には先回りで過干渉でした。心配事があるといてもたってもいられない母です。私が失敗しないようにと育ててくれました。同じこと書かれている方がいらっしゃいますが、漫画もなし、ポケベルや携帯も持たせてもらったことはありませんでした。
私は何も信じてもらえてなかったと感じています。
比べちゃいけないけれど、不登校の息子にはそんな思いをさせたくなく夫婦仲には気を付けてきたし、親の不安を子どもに押し付けないように注意してきました。不登校になったけど息子の将来の可能性は信じてるし、息子が再び動くためには何が足りないのかわかりません。
私がされた子育ての逆をしようとしか考えれていなかったからかもしれません。どうしても意識してしまうんですよね…。
私も少し吐き出させてもらいました。すみません。
私もアダルトチルドレンだと思います。。そんな言葉は正直、我が子が不登校になるまで知りませんでした。私の両親、父方の祖母はとても世間体を気にする人間です。私は子どもの頃から両親、祖父母と住んでおり、いつも何かしらプレッシャーをかけられてました。高校の時、絶対に大学には行け、でも浪人は許さないって何度も言われて、落ちたらどうしようという恐怖にかられて、勉強ができなくなってしまいました。こちらのそんな精神状態も打ち明けられないまま受験し、受かるわけもなく、短大に行きました。そのことも散々言われ、でももうあとは就職で言われることはないだろうと思っていたら、就職先も口を出してきて、親の希望通り大学に行けなかったのだから、就職ぐらい希望を聞いてくれと。これも一部で色々ありますが、マカロニさんと同じで、結婚して実家から離れたら、解放された気分でした。距離を置いたら、自然とそんな昔のことの記憶も薄れていき、子どもも生まれたので、こちらも普通に接することができるようになり、たまに帰省していました。でも娘が不登校になり、なぜか自分の昔の記憶が鮮明に思い出されてきて、娘のことも大変でしたが、自分の親に対するおもいが憎しみみたいになって、自分と向き合うのも大変で、不登校について色々調べいくうちに、アダルトチルドレンというのを知りました。私も自分の経験から、親の意見は子どもに押し付けないと思って育ててきました。でも不登校になって、自分の子育てを振り返ると、自分も親と同じではないにしても、違う形で娘に押し付けというか、やらせていたこともあったのかもと思うようになりました。結局は似たようにしか育てられなかったと自分を責めてしまいます。今は親にも会いたくないです。子どもの頃にもっと気持ちをぶつけていればこんな気持ちにはならなかったのかなとも思ってしまいます。だいぶ大人になってこんな気持ちが湧き上がってどうしようもなくなるって辛いですね。
わかります。
私もです。
同じ年代の周囲にくらべて少し厳しい両親のもとに育ちました。
何をしたら怒られ、褒められるのか、そんなことばかり察しのよい子になりました。
何が好きかわからない…本当にそうです。
大人になってからも、門限が厳しくて残業と嘘をついて飲みに行ったりしていました。
自分の子どもには私みたいにはなってほしくなかったので、あまりうるさいことは言わないようにしました。
私のころには許されなかったことも、わりと黙認していましたが、どんどん自由を求めてエスカレートしていきました。
正直、自分の両親の育て方のほうが正解なのかもと思うこともあります。
私は子どもに寄り添いすぎました。
それでも、我が子たちは自分の好きなことが何かはしっかりわかっていて、自分のことは自分で決めることができるので、その点では私のようにならなくて良かったなと思っています。
親も人間だったんだと私は気づきました。
そういう私も、親が絶対の家庭で育ちました。
父は機嫌が悪くなると暴言に暴力
理不尽な事で怒っていました。
マンガも買えなかったし、ゲームも買えなかった。
みんなが持っていたポケベルなんてもってのほか
社会に出ても厳しい門限があって、土日のどちらかは必ず家の手伝いをする
私は自分の子育てではなるべく本人に任せようと思って子育てしてきました。
でも私は不登校にならなかったけど、我が子はなった。
何が正しいのか分かりません。
うちの旦那は知らんぷりですが。
それぞれの環境が違って…苦しみもそれぞれで…
マカロニさんもここの方達も、何故こんなに辛くなきゃいけないのか、不思議です。
本当に不思議…マカロニさんの辛い記憶が少しでも和らぎますように