母親
卒業したお話を聞きたい!
24517 edit2021.05.18
と感じる当事者の方
<blockquote>うちの子は不登校を卒業しました</blockquote>
と感じる保護者の方
それぞれの思う「卒業」を、自由に書いてみませんか?
いろんな投稿をお待ちしております
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コメント一覧
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私も実は以前まで不登校でした。
っていうか最近まで不登校でした。
まだ人のこと言えるぐらいちゃんとしてはいないんですけど、出来る限りお答えしたいと思っています!!
実は小一の入学式の数日後ぐらいからずっといじめられてそれから九〜十年ぐらいずっと学校行けなかったです。
なんか学校に行く勇気もないし、学校に行く気もないっていうか、、、、。
だから当時の私には学校に行くことが一番の苦痛だったっていうか。
でも高校は通信制の高校に通うことになり、一段落しました。
小中のクラスメイトとかいじめっこは別の高校に通っているので、高校の中に私のことをいじめる人がいない限り、安心して学校に通えるかなって思ったんです。
まだ当時のトラウマが残るものの、母が「辛かったら、学校行かなくてもいいから、一回行ってみなよ」って言ったんで、一回行ってみたら、みんな優しくて良い方で良かったです。
それ以来、ほぼ毎日学校に通うようになっています。
友達もできて、とても楽しい毎日を過ごしています!!
現在高2の息子が、中1の秋から不登校になりました。
中2では数回イベントに参加していましたが、中3からは通う!と意気込んでいたものの4月数日通い失速
息子の言葉にかなり期待していたから正直落ち込みました。私が😂 この子は今後どうするのだろうか?
不安で仕方なかったけれど 私が息子の人生の舵を取る訳にはいかない。なんとか自分と息子の境界線を意識しながら もしかしたら 中学卒業後は無所属になるかもしれないけれど本人がやる気になれば進路はどうにでもなるし、働きたいというならそれも良いかもしれないと 息子自身で進路は絶対に決めて貰おうと見守る事にしました。すると、中3の夏休み頃から 「やっぱり全日制の高校に行きたい。受験しようと思うから塾に行きたい」と言い出しました。
近所の個別指導塾が近いからと通い出し 学校見学もドタキャンもありましたが 何校か見に行く事が出来ました。 そして「一番校舎が綺麗で大学進学率も何校か見た中で一番高い」という理由から第一希望の学校を決めました。 見学に行った学校には必ず不登校の子の受験は可能かを確認しました。どの学校も内申が必要な単願併願受験は出来ないけど、当日の試験の点数だけで合否を決める一般受験なら可能だと回答してもらいました。
不登校中はノー勉 スマホ、ゲーム使い放題、昼夜逆転と 正直今から受験に間に合うのか?と思いました。勉強しなきゃという割には塾には通うものの家で勉強してる風でもなく 生活スタイルを変える訳じゃないし。。この時期は親もかなりの忍耐力を要しました(笑)12月頃からやっと腰を据えて勉強し出した気がします。 そして第一志望の学校に合格を頂きました。親子で抱き合って喜びました!
入学してからは、直前までの昼夜逆転、運動もしていなかったので体力のなさは明白! 電車での通学、6時間授業 かなり疲れるようで二学期ぐらいまでは通うのが精一杯という感じで部活をやるような余裕はなく、、、ちょっと疲れると何だかんだと理由をつけ休んでいました。 私は息子が休む度に出席日数が、、、とヒヤヒヤしましたが 三学期ぐらいから休まなくなり、ちょっと安心して見てられるようになりました😊 お友達にも恵まれ凄く楽しそうだし、将来学びたい分野ができ、その学部がある大学を目指したいと話してくれます。不登校初期に「俺の人生終わった」と「死にたい」と言っていた息子はもういません。
いま、やっと不登校は過去のものになりつつあります。 これからまた先々息子の人生で心折れる出来事もあると思いますが、不登校を乗り越えた事が自信になり 歩んで行ってくれたら良いなと思っています☺️
中1は、ほぼ完全不登校だった娘。
中2になってから行き始めました。
不登校の原因は、仲のいい友達がクラスにいなくてぼっち状態。担任はすぐキレる。
行けなくなった当初は、本当に気持ちがどん底で毎日辛かったです。
不眠、吐き気、頭痛が酷かった。
なんでうちの子が?あんなに明るかったのに?
この死んだような顔してるのは誰?
制服の子を見ただけで、運転中だろうが泣いていました。
娘は昼夜逆転はもちろん、ノー勉、部屋は遮光カーテンで真っ暗、ご飯もあまり食べず、風呂は入らず、そしてたくさんのリ◯カ…
本当に本当に苦しかった…
でも私にはどうする事もできず、娘の前では絶対泣かないように我慢してたくさん世間話をするようにして、愚痴を聞き、好きなものを作って、欲しがるものはできる限り買えるものは買ってあげた。
暴言吐かれても怒らないようにした。
かなり甘やかしたとは思います。
でも、それでも娘が少しでも笑顔になってくれたら嬉しかった。
学校なんてもう一生行かない!と言っていた娘が少しずつ明るくなり、春休み前あたりから『2年生からは行くから』と言ったけど信じられず…
でも、2年生から本当に行きました。
仲良しの友達と同じクラスにしてもらって、担任の先生もとても優しい。
最初は昼夜逆転がなかなか直らずに週に2回くらい休んだり午後から行ったり早退したりしてたけど、だんだん欠席がなくなり、早退がなくなり、遅刻も午後からだったのが午前中から行けるようになり…
7月に入ってからは、遅刻は数回しかしませんでした。欠席はゼロ。
6月から塾に行きたいと言って行き始めて勉強の遅れを取り戻し、初めてのテストも受けれた。
7月からは、部活に入ると言って運動部に入りました。
まだまだ体力が落ちていて、疲れ切ってお風呂に入らず寝てしまったり、朝も起こさないと起きないし送迎も毎日していますが、
先日娘が『朝起きるのは辛いけど、学校行ったらすごい楽しいんだよね』と言いました。
それを聞いて、本当に嬉しかったです!
最近は部活に、勉強、恋愛、友達を家に呼びキャッキャと騒いで楽しそうな毎日で、青春を取り戻しているようです。
いきなり塾も部活も、疲れすぎて大丈夫なのか心配だったけど、やっぱり若いですね。
元気です。
まだ来年のクラス替えでどうなるかわかりませんが、今の娘を見ていると不登校はこれで卒業かな?と思います。
辛い時はこちらのサイトに来て、みんなのコメントを読んでうちだけじゃないって安心したり、友達には言えない不登校の話をつぶやいてストレス発散してみたり。
本当にお世話になりました。
ありがとうございました。
不登校なんて、できれば経験したくなかった。
でも、不登校になって得られたものもあるかと思います。
長い人生、これから先またつまずくこともあるかもしれないけど、その時はまた頑張って立ち上がってほしい。
今回立ち上がれたんだから、きっと大丈夫!
今まだ不登校渦中のお子様が、早く立ち上がれますように…
小6ひとり娘。
小5の9月末から3月まで不登校でした。
学校大好きで楽しく通っていた娘が、まさか不登校になるなんて、全く予想もしてませんでした。
原因は人間関係。
優しくて明るくて活発な娘が、別人のようになり荒れ狂いました。
1番酷い時は、家から出ない、風呂に入らない、歯磨きしない、服も着替えない、笑わない、暴言を吐く、ゲームやYou Tubeに没頭するなど地獄でした。
本当に辛かったです。
もうこの子は終わったと思いました。
家庭も崩壊寸前までいきました。
うちの場合、不登校の7段階に沿うような感じで変化していきました。
3月、少しずつ回復しつつあったものの、全く先の見えない状況で、年単位で考えていかないといけないと夫婦で話していました。
その矢先にのことです。
娘が、4月から学校に復帰すると宣言。
そして、周りの心配をよそに本当に復帰しました。
前日まで、行けたら奇跡と思うような状況でした。
なのに・・・、いきなりの全力疾走フル回転。
どうなるかとハラハラしましたが、1学期を最後まで駆け抜けました。
早退無し、遅刻無し、休み無しでよく頑張ったと思います。
家では、まだまだ問題は山積みですが、学校を1度も休まなかったので、とりあえず、不登校では無くなりました。
なので、ここを卒業したいと思います。
みなさんのアドバイスや励ましに、どれだけ救われたことてしょう。
感謝しかありません。
ありがとうごさいました。
現在、通信制高校3年の子です。
小学四年より不登校になり、適応障害、鬱、過敏性腸症候群、自閉症等発症し、入院も繰り返し、HSC気質の娘です。
一時期は、自殺も考え、呼吸困難になり、震えや冷や汗も止まらず、親としては、生存確認の日々でした。
明日この子は生きているだろうか?
変わってあげれたら変わりたいと幾度思ったかしれません。
幾度も学校とぶつかり、地域の役員も辛くて生きたここちのない7年でした。
高2の時、ふとしたきっかけでアルバイトを始め、少しずつ自信をつけ、鬱の薬もやめる事が出来ました。
卒業後の就職先も決まり、少しずつ、バイト仲間と遊び出しました。
幼少期のとびきりの笑顔は、不登校になってから見ていませんが、会話は普通に出来るようになりました。
長い長い道のりでした。
心理士からは、
人一倍、感じやすい子だから、これからも、つまずき続けると言われました。
今思うと、自分に似ています。
私も不登校にはならなかったものの、毎晩、寝ながら泣いていたり、親や周りに気を使い、とても疲れた子供時代を過ごしていました。
今も、職場で、子育ての理解を得れず、かげぐちを言われ、体が震え、呼吸困難になり安定薬に頼っています。そして、退職しますも決まりました。
親子とも弱い人間です。
お互い無理をし過ぎず、生きていきたいです。
中2から完全不登校になった息子。人目が怖いと中学時代は引きこもったまま卒業。進学先に選んだのは夜間定時でした。最初は通えそうなら全日の方が絶対いいと周りは反対しましたが、絶対定時がいいと言う息子。内心は昼も通えないのに夜なんて無理と思っていましたが入学して8ヶ月。休んだ日は7日。ついにバイトも始めました。
もう大丈夫そう?と聞くと入学当初はあった怖い気持ちが最近完全になくなったんだよね〜と…
息子が通う定時制は全員同い年で大人は1人もいない為少人数の高校って感じで息子にとても合ってるようです。何より先生方が良い!将来は教員免許をとりたいと言う息子の為に色々調べて高1の今から相談に乗ってくれてるようです。
この8ヶ月またいつ落ちるかドキドキしながら過ごしていましたが初めてのバイト代でスイーツを買って帰ってきてくれてまだまだこれから恩返しするからな〜と言ってくれた息子をみてもう大丈夫だと思えたので一旦卒業させていただきます😄
僕は親ごさんくらいの年齢ですがこの春に高校に入りました。
30年くらい前の中学時代には登校拒否児として甘えている、根性がないだけと言われ続けて大変な目を見ました。
形だけ中学を出た後は学歴もないので正社員になることもできず、非正規雇用でケガをしても補償がないような職場を転々として結婚や離婚も繰り返しました。
年齢や時代的にアルバイトも受からなくなり学歴の大切さを知り受験して合格し今は高校1年生ですが制服を着て通学して勉強や部活も楽しくやっています。
同級生はみなさん現役ですがそれなりに溶け込んでいます。
当時は僕も学校に行けないことにかなり悩みましたし周囲も巻き込んだと思います。
まさかこんな形で高校に通い勉強や部活、文化祭なども楽しめる日々が来るとは思わなかったです。
同級生や友達のお子さんに不登校の生徒もいますがそんなに悩まなくても後からやり直しのきく年齢だと思いますし、自身に関しては不登校の卒業だと思っています。在学中に資格や検定を取って卒業後はしっかり働きたく思います。
息子は中3の頃から通学はするものの授業の途中に体調不良で保健室に行ったり、少し不登校の兆候はあったものの進学校に合格し高校生に。しかし、一年生の夏頃から通学途中で貧血で倒れたりひどい時は意識を失い救急車で運ばれたこともありました。徐々に行き渋るようになり朝はトイレから出てこなくなり本格的に不登校に。とうとう出席日数が足りず本人の意思で不登校生を受け入れてくれる高校に編入しました。始めの1週間は通えたのですがその後は駅のトイレで1日過ごしたりまた通えなくなりました。そんな時も編入先の先生は温かく見守ってくださいました。私も毎日先生にメールをし相談にのっていただき息子に大らかに接することができるようになってきました。
息子には「学校に行かなくてもいいからお母さんが仕事から帰って来るまでに家の用事しておいてね」とお願いしたり「1日1回は外出しなさい」と促したりしました。
家族も重い雰囲気を作らずみんなで明るく毎晩食事をする様に心がけていました。
そうしてるうちにある日息子がお年玉を使って水槽と魚を買ってきて飼育を始めました。学校は相変わらず行きませんでしたが魚について調べたりアクアリウムみたいなことを始めてどんどん昔の笑顔を戻し始めました。そして動物系の専門学校に行きたいという夢ができてギリギリでしたが高校も卒業でき専門学校にも入学することができました。そして今ではペットショップのアクア部門のリーダーとして活き活き働いています。
友達もたくさんできて「今日は友達とごはん食べて帰る」というLINEに「もう作っちゃったよ」と💢の返信しつつ内心嬉しくて仕方ありません。今となっては息子は不登校になったおかげで将来の夢を見つけることができたのかなと思えるようになりました。
息子は中学の時、2年半不登校でした。
一日も行ってません。
3年の進路相談で、担任の先生に勧められたのは、偏差値が低い公立高校と、昼間の定時制高校(息子にはその2択しかありませんでした)
当初は、偏差値が低い学校だとは知ってましたが、2年半も不登校だったし、内申だって全然たりないだろうし、本当に、公立受験できるの?と、半信半疑でした。
でも、無理なら先生も薦めてこないでしょうし、息子の意見を聞いたところ「色んな年代の人がいる定時制は、ちょっと…同級生だけの公立受けてみようかな…」と言ったのです。
そして、合格→3年間ちゃんと通う→卒業→学校推薦の就職先に入社。(まだ入社したばかりです😅)中学では、出来なかったけど、思い切り「青春」してました😁
今思えば、先生も、よっぽどの事がない限り、大丈夫だろうと薦めてくれたのかもしれません。息子みたいな生徒さんを何人も、送り出したのかもしれません。
先生には、感謝しかありません😊
今は、あの時の暗闇の中の日々が、夢だったのでは?と、思うくらい、息子は不登校から見事に脱出しました。
あの時、道を切り開いてくれた先生と、自分で前に進もうとした息子に感謝感謝です☺️
これから、息子にとっては長い人生!
色んな試練があると思います。
でも、その時は、あの時の苦しかった日々と同じように、息子と2人で試行錯誤しながら、頑張って行こうと思います☺️
我が息子よ!頑張れ!
私が、息子に送るエールってとこですかね😁
「不登校を卒業」という文字を見た時に、感じたのは母親である自分自身の中に、何があっても、この子は大丈夫!もし今行っている大学に行かなくなっても、行けなくなってもそれはそれでいいし、私はこの子が、本当に大好きなんだなぁって、そしてそう思える自分が嬉しかった事でした(それまでは心配しかありませんでした、、)中学校と高校でそれぞれ不登校と転校を経験しました。家族それぞれもがきましたが、子どもの不登校が無かったら(きっと無い方が良かったんだとは思いますが、、)私達家族は、そして、多分、その経験があったからこそ家族らしくそれぞれが成長したような気がしています(それまでがどんな感じだったかは、ご想像にお任せします、、そして、このもがいている間に夫は浮気をし、その件に関しては、死刑!と思っていますが^_^)。昔は、相談できずに一人で感情を抱えていた子どもも少しずつ話せるようになり、高校の頃から少しずつ私以外の友達に相談したり、頼ったり。大学に入ってからも何度も泣きながら電話してきたりもありましたが、最近は、その頻度も減ってきました。友人関係も、広がっていき、私が、子どもの電話に出る時の動悸も減ってきました。大学は、私達がすぐに駆けつけられる所に行っていますが、大学院をいま、遠方の何処も含め自分に合った所を探そうとしています。
それでも、先は子どもも自分もどう変化するかは、分かりません。でも、そう思えるようになった、そして、子どもが今笑っている事が、ただ嬉しい。
この10年弱何度も「これは何の修行だ?!」と心で叫びました。初めから「この子は、この子のままでいい」そう思える自分で、母親になれてたら、と思います。でも、子どもは、自分が一番苦しかったのに本当に優しかった(比喩ですが^_^)。
色んな経験をさせてくれて、マジありがとう。そう思えるようになったことが、私の「不登校の卒業」なのかなぁと思っています。
現在高2の娘が小学校高学年で不登校になりました。
原因は転校による環境変化と習い事で大ケガをして体調が優れなかった事ですがケガしてホッとしたと言うくらい追い詰められていました。
適応教室へ通ったりしていましたが恐らく中学も不登校になるだろうと思っていましたが
中学高校とほぼ休む事なく通学できています
先日、本人が初めて教えてくれたのですが適応教室の先生に将来振り替えった時にここが思い出になるねと言われた事が本人の中で引っ掛かり中学からは必ず復帰すると心に決めたらしいです
未来地図様。初めまして。
不登校の卒業が、学校に行きだした。ということであれば、私もその1人です。
息子。小学校の高学年に始まり、中学、私立高校、通信制高校とそして、大学生になっています。進路は息子のやりたい野球でふりまわされました。通信制高校の先生は、時間軸はその子のやりたいようにと。何時でも何とかなるからって、教えてもらいました。
娘は私立中学1年で不登校。内部進学出来ずに、受験し家から離れて通っています。高校2年生です。行かなくなるのではという心配もたまに芽生えますが、そんなことなく通学しています。中学の先生は、自分の道を見つけたらいいよというスタンスの先生でした。
思春期の不登校は、周りの影響が大きいような気がします。ならない方がいいけれど、なっても、その子にとって必要な何かを得て次のステップに進んでいるような気がします。
親はどうすることもできないけれど、信じて待つ。
これを読まれたママ達が、少しでも心が軽くなりますように。今がどん底でも、少しづつ自分の道を歩んでいっているから。
現在、高校1年になる息子の母親です。
息子は中学2年間、ずっとお家生活で、高校入学を機に再び歩き出しました。
息子の場合、給食が全く食べられず、そのことが大きな要因となり、学校に行けなくなりました。中学の頃には教室にいることもしんどくなってました。
そんな中で、自分で決めた高校進学。
昔と違うのは、「課題が終わらない!」とか「明日のこの授業、マジで嫌!」とか散々言ってても、翌日にはサクッと学校に行くことです。
今でも 教室でお弁当を食べることは大変そうですが、なんとかしようと懸命にもがいています。
その状況を自分なりに受け入れ、自分で困りごとに対応できるようになることが、本当の意味での卒業になるのかなぁと思ってます。
息子も、そういう私も完璧主義( そう育ててしまったのだと思ってますが ^^; )
昔はネガティブワードを言う息子に対して、ポジティブのオブラートで包んで、切々と説得してました。
でも 息子に必要だったのは、ただただ 聞いてもらうこと、だったのかもしれません。
不登校になり、親も関わり方を変えたことで、息子自身が楽しいことはもちろん、嫌だというネガティブな感情についても、身構えずに話すようになりました。
そのことで、以前より自分で感情を消化できるようになったと思います。
それが 現在の、試験勉強してなくても、課題が終わってなくても、学校に行けるようになったことに( それでいいのか?笑 )、繋がっているような気がします。
この不登校の2年間を経て、彼の中で、ある程度の許容をもって、物事を判断できるようになったと思います。
そして、問題にぶつかった時に、乗り越える、避けて別の道をゆく、一旦立ち止まるなど、いろんな方法があることを知り、行動できるようになったと感じます。
渦中の時は、お互いに身を削るような局面も多くて、本当に大変だと思いますが、息子自身か社会に出て、生きていく上で、足りていなかった部分を補うための大切な時間だったのかもしれないと、思うことがあります。
そして、まだ 親が面倒を見られる時期に起きてくれて、ある意味 良かったとも感じてます( もちろん、ないに越したことはないですが )。
我が家もまだまだ不安定ですが、一緒に歩みつつ、見守っていきたいと思ってます。
未来地図さんお邪魔します。長男次男が中学不登校で中学卒業と同時に不登校も卒業しました。長男(23)は充電が完了したようで高校大学企業に就職。次男(21)はバイトしながらゆるゆると5年かけて高校を卒業後バイトをそのまま続けています。しかし正規雇用に惹かれ始めスキルを身につけるべく専門学校に入学予定です。
休み始めた当初は元気がなかったので心配でしたが根拠もなく大丈夫と思っていたし好きな事楽しい事奨励していたら心に余裕がある生き方をしていて我が子ながら素敵だなぁなんて思います。
小学4年生である日突然学校に行けなくなった娘が小6のある日から行けるようになりました。
いじめもなく、先生とのトラブルもなく、成績も良かったのになぜなのか?最初はなにか原因があるはず!と必死になって原因究明に励みましたがわかりませんでした。
本人も聞きましたが、なぜなのかわからないけど、学校に行けないと。
その後発達障害があることがわかり、これはもう何かのせいではなく、受け入れていかねばならないこと!となり、放課後等デイサービスに通いそんな生活にも慣れてきて、不登校が気にならなくなってきた頃に「遠足があるってよ、行く?」って冗談で言ってみたら、行くとなり、その日から普通に登校できるようになりました。
1年8ヶ月と続いた不登校でしたが、娘が学校に行けないと泣いた日から、一度たりとも無理に行かせようとしたことはありません。
このことが後の親子の信頼関係へとつながり短期間での収束になったのでは?と感じています。
本人にもよくわからない不登校の場合は、信じて任せて待つのが良いのかなと思っています。
(いじめ等トラブルがあった場合は別だと思っています。)
毎日ゴロゴロしてゲームしてサボっているようにしか見えないかもしれませんが、本人が一番辛いのだと思います。
この子は逃げている、サボっているという前提ではなく、
この子は苦しんでいるという前提で接していくのが良いのかなと。
久々に投稿します。
約3か月前、留年が決まった娘。
通信制に転籍するか迷っていましたが、本人が出した最終結論は休学でした。
来年、もう一度高校一年生です。
私は3年日記をつけていて、苦しかった不登校の始まりから、その文面は娘のことばかりでした。
娘の休学決断を機にその暗い重い日記をつけるのをやめました。どんなことでも、続けてきたものをやめるのは思い切りがいりますね!
6月、休学の手続きと面談のため夫も含め3人で学校へ行きましたが、その帰り、なにか枷が外れたように気持ちが軽くなったのを覚えています。
娘とは、さあ、これから来年4月までメンタル保てるか大変だねー、浮き沈みはきっとあるだろうけど、なんとか過ごそう。という話を当時していました。
高校入学とともにドラムを習い始めたので、毎日ダラダラと過ごす中、ドラムの練習だけが彼女の心身の健康を保たせていました。
それでも、夏休み明けが少しきつかったようです。高校でできた友達から連絡が来なくなり、取り残された感じに襲われたのだと思います。
昨年でしたら、私もあれこれとケアをしていましたが、いろんな局面を乗り越えてきたことで、彼女は必ず独りで自分を整理してくるというのがわかったので、ドアに鍵がかけられても独りにしてほしいんだな、とそっとしておけるようになりました。
そうして、前期は揺れもありましたが穏やかな生活を送りました。
朝食の時間に起きて来たら娘の分も用意しますが、基本夕食以外自分の食事は自分で。お昼も私が食べない時は自分の分だけ作っています。
お互いに干渉せず、そのかわり夕食の時は彼女の好きなアーティストやYouTubeに延々と家族で楽しみます。
10月に入り、具体的にバイトを考え始めたようで、昨日Webでエントリーし、今日履歴書を書き、明日面接に行ってきます。
数ヶ月前とは考えられないくらい進歩しました。
「私、一歩の歩幅が大きくなったよね!」
娘の口から出たその言葉に、不登校という言葉がそぐわなくなった…とふと思いました。
1ヶ月バイトしたらいくら給料貰えるか皮算用して、来年の通学用のスニーカーをアマゾンの欲しいものリストに入れていました!
地獄のような苦しい日々があり、私も娘も成長しました。
未来地図のスタッフの方々にもコメントいただいたり、同じように苦しむお母さん達に慰められたり。
もうこのサイトを開くことはないかなと思っていましたが、やはり心からお礼を申し上げずにはいられません。
そして、今は真っ只中の方々にもエールを送らせてください。
舞台は必ず時がきたら回ります👍
学校に通えるようにはならなかったけれど、通わなくて良くなった娘の近況です。
現在通信制高校1年です。年1回のスクーリングの不安はまだ残っているため完全な卒業ではありません。ただ、私の心配の中心が「不登校」ではなくなってきたので、一言ではなくこちらへ投稿させて下さい。
娘が、小学校から続けていた習い事を再開しました。
不登校になってレッスンにも行ったり行かなかったりしていたため、夫から「学校に行けないなら、習い事も行かなくていい!」と。少し休ませたけれど、私はとにかく娘を認めてくれる誰かと繋がっていて欲しくて、すがるように続けさせてもらった習い事でした。
結局、体調が不安定で行けないことも多く、遅れてしまった勉強をしっかりしたいと言うので、一回やめることになりました。
高校へ入学後し生活ペースも良いので、ついに5月から再開しました。「いつでも待ってるね」の言葉通り、先生も娘の再開を喜んでくださり、有難かったです。そして、私は仕事で送迎できないけれど、晴れても雨でも一人で行って帰ってくる娘。
同級生達は高校で勉強したり部活をしている時間です。顔見知りの中学生とすれ違うこともある時間。今までだったら、帽子をかぶり下を向いて誰にも気づかれないように外を歩いていた娘が、今日は胸を張って自転車で帰ってきました。胸を張って、は言い過ぎでしょうか…娘の言葉では「姿勢よく自転車をこいでみたよ〜」でした(笑)
不登校を経験しなかったら、何でもない当たり前のことかもしれません。でも今の私にはすごく誇らしくて本当に嬉しい一日でした。
実際に不登校を卒業しましたが
子供が学校に行き始めても不安は、ありました。
子供の不登校卒業は
失敗しても大丈夫と挑戦したり、自分で決める事が出来た時が本当の卒業なのかなと感じます。
(ゼロヒャク思考が緩んだ時)
親の不登校卒業は
失敗しても何とかなると
挑戦する事を口出しせず見守れる様になったら卒業なのかなと思いました。
(この子は、大丈夫と心から信じられる様になった時)
大丈夫?
よりも
大丈夫!
と思えた時、子も親も前を向いて進む様な気がします。
息子が高校を中退したので、不登校から卒業です!
息子は『支配から解放された〜!!』と言っています(^^)
今は所属している場所はないのですが、私自身なぜか焦りはなくて。。
『何者になるんだろう?』と楽しみなくらい。。
数ヶ月部屋に引きこもり、落ち込んで暗い表情だった時期もあった中学時代のことを考えると、自分で高校を辞める選択が出来たことはとても前向きな行動が出来るようになったな。。と、そんなふうに思えます。
我が家の三男は今は18歳大学生で、小6年の秋から中3卒業式までが、ほとんど地元の小中学校に行かなかった時期でした。その間は、ぼぼ家から出られない時から、だんだんエネルギーが溜まって家族と出かけられる時期を経て、中3は民間のフリースクールに通っていました。高校は中学ほぼ行ってないのに、全日制高校を希望して受験勉強をして合格しました。(内申は関係ない私立高校です)
本来ならその時点で、不登校卒業だと
思いますが、入学してから更なる試練がありました。慣れない通学に運動部にも入部し、身体も心も悲鳴をあげていました。不眠になり寝ないままフラフラしながら高校に行き、見守るのも限界を感じるほどでした。私はいつでも通信制高校に編入できるように準備して辞めてもいいよ、と伝えてましたが、休むことはしなかったです。半年ぐらいそんな状態でしたが、1年の2学期後半ぐらいからやっと落ち着きました。中学時代には全くいなかった友達もできて、やっと不登校はひとまず卒業したかな、と思いました。
それでもいろいろ心配事もあったし、
本当に不登校を卒業できたと実感できたのは、高校卒業式の日かもしれません。悩みも心配もたくさんあったけど、不登校を経験したからこそ親子共々得られたこともあったと、今は思えます。