学びの自己決定について

1175 2 personとりあたま edit2024.09.13

少し古いですが、内田樹という仏文学者にして現代思想の教授の「下流志向」という教育論の本があります。
今の子供が学ばなくなったのは何故か、今の子供は進んで学びを放棄しているのではないか、という論題から入っているのですが、子供が自らの学びを決めるということについて考えさせられるところがあります。

学校の勉強をするしないの自己決定は気持ちのいいことではあるけれど、その判断から生じるリスクを負うのは子供自身。学んだことの価値は学んだ者にしかわからないのだから「今、これを」勉強することの意味を当人が理解し、自覚するのはなかなか難しい、ということなどが論じられています。

これは私の考えですが、特に子供が小さいうちは年相応の判断しかできないのだから、やはり学校や親の強制力はある程度必要で、子供の判断に任せればいいというものでもないと思います。
反論もあるかと思いますが、まだまだ幼い子供にとって、自分で決めて行動するということは「好き」「嫌い」という感覚的な理由の域を出ないでしょう。そもそも小学生くらいの子供に自覚された自分軸なんてものがあるのか、それくらいの年齢から思春期を通して、正にそれを作るために教育というものがあるのだと思います。
それなのに子供にそのための学習内容、方法を選ばせるというのは、やはり少し酷な気がします。

自分に必要な学習の内容を把握して、それを自ら続けられる資質のあるお子さんもいるかもしれませんが、稀ですよね。
上手く行かなかった時のフォローは大人(親)もするべきだとは思いますが、子供に決めさせるのなら、結果を子供自身に負わせる覚悟は必要かな、とは思います。
あとはある程度年齢がいったら、自分で巻き直すか。(ゆたぽんも巻き直し中なのかな~)
あとは決定のさせ方でしょうか…私は残念ながら事例などの知識がないので、上手いやり方もあるのかもしれません。

逆に親や学校に従っても上手く行くとは限らないんですけどね。そのやり方が合わない事が原因でまさに不登校になったりするわけで。不登校で心身の状態が悪ければいくら強制しても勉強できないわけだし、やりたいことだけでも行動できた方が、全く動けなくなるよりはよほどいいですよね。
だから動けなくなるくらいなら、自分の好きなように学んだ方がいい、とは言えるかもしれません。
難しいですね。

自分で決めて学校に行かない子供や自分で決めれば学校に行ける子供と、行きたくても行けない子供を同じように語るのは違うと思いますが、とりあえず本を読んで、「自分で決める」ことの価値とは?と疑問に思い、あれこれ考えてしまった次第です。

長文&まとまりのない文章で失礼しました。
  • 6

コメント一覧

  • schedule約3ヶ月前
    匿名

    確かに5歳くらいまでは、親と一緒に決めても良いのかなと思います。

    それ意向は、子どもが決めたら良いかな?
    失敗も含めて、それが勉強そのもの。

    失敗させない事が目的なら、親が強制的に選んで与えても良いのかなと思います。

    結局、どう生きたいのか?

    その人それぞれの哲学に関わる問題なのかなと。

    百人いたら百通りの正解があるのでしょうね。

    子育てって、親の価値観やエゴを試される行為でもあるなとつくづく考えさせられます。

    • 3
  • schedule約3ヶ月前
    匿名

    私は難しいことは苦手なので、とりあたまさんの仰る事と少しズレてるかもしれませんが、小学六年生の男の子が書いた何かの記事を読みました。

    幼稚園の時に選んだランドセルが、たしか変わった色の迷彩柄で、親は子供の自主性に任せてあなたの好きなのでいいよと口出ししなかったそうです。
    そして一年生になったら水色が良かった。
    二年生は緑が良かった
    三年生は青
    四年生は茶
    五年生は紺
    六年になった今、黒が良かった。
    (好きな色は覚えていませんが、だんだんシンプルになっていってました)
    学年が上がるにつれ派手な迷彩柄のランドセルが恥ずかしくて仕方ない。
    お母さん、未来予測ができない幼い僕に何故
    アドバイスせず好きにさせたんですか?

    みたいな記事がありました。
    親がアドバイスすると過保護だ過干渉だと叩かれがちな時代ですが、全てを子どもの自主性に任せるってやっぱり違うよな、て思います。

    • 8

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