納得できない感情、講義すべきなのか?
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edit2026.06.15
そこで重大ないじめ・犯罪行為にあたるような事をされて、学校が恐怖の場所・一定の子(その周囲の子)に対して記憶から消えないような事をされています。
警察に行かなかった理由は二次被害を恐れたからです。これ以上、わが子を傷つけたくなかった。
この問題が大事になれば知らなった子まで知れ渡り、二重に子供が傷つくであろうと感じたからです。
加害者の子を許した訳でもなく、今もしんどい思いの中で生活しています。
この出来事は1年前の事で学校はこの事件の事は知っておられますし、いじめ案件として教育員会にあげられたと聞いています。
この1年間、子供のケアを一番に考えて対応してきました。その中で○○がいるから学校に行けない!誰かに会うから出たくない!などの事を聞くたびに、怒りがこみあげてくるのです。
いじめを受けた子は学校にも行けず、学ぶべき事すら奪われて、精神的負荷も相当かかる状態にされているのに、加害者の子は普通に学校生活を送り進学し数年すれば、この出来事すら忘れて暮らしていくと思うのです。
教育範囲の中に道徳という項目があるのに、今の教育制度では内申点にはいじめの事は反映されない現実と、加害者は自分がしたことへの軽さ、中学3年間のテストの平均点(学力重視)・部活動の評価・委員会への参加と内申点には表面的な見える部分での評価しか書かれない点の不平等の差
を感じています。
いじめは人の人生する変えてしまうような出来事で、人の人権を踏みにじるような行為をしたのになかった事にする教育現場に違和感を覚えています。
高校なら重さによっては退学処分もあり得ると思いますが、公立中学の場合は加害者にも未来があると守られる傾向があると感じるのです。内申点には悪い評価はかかない
それではあまりにも不平等で学びの機会は均等にあるべきなのですが、加害者は守られ、被害者は一生抱えれる経験をする事になるのです。
被害者は中学で欠席やテストを受けられなかった場合に内申点は0
それに比べて加害者は内申点に影響がない
響かないから自分のしたことへの罪の意識も軽くなり、いじめが後を絶たない結果になる部分もあると思うのです。すべのいじめは無くならないとしても、内申点に響く自分にも影響がでるとなれば、人を傷つけても平気とはならないと思うのです。
学校に事を私たちが思っている感情や不平等さを伝えて、教育員会にいじめ案件として上がってきたものに対しては、重大な出来事と重く受け止め、いかなる理由であろうと内申点に影響ができる。学校生活におけるいじめの加害者として明記すべきだと思うのです。
虐めの加害者と明記しても内申点の一部であり、それが理由だけで高校進学が出来ない事にはならないと思っています。やり直す事は出来るはず。
その一方で被害者はされた出来事への精神的負荷を抱えて、動けない外に出れない。高校すら進学できるのか?わからない状態にされるんです。
いじめによる不平等な内申点のつけ方に対して抗議したいと考えるようになっていますが、
皆さんはどう感じますか?ご意見を聞きたいです。
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