メメの日記
edit2025.09.20
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学校には行けない下の娘
1年8ヶ月
卒業式も入学式も出ず、中2
体を引っ掻き、昼夜逆転、お風呂入らず、ハミガキせず、ご飯も食べず、外に出ず部屋に籠る、黙る、笑顔が消える、病院も薬も断固拒否、泣き叫ぶ、物を投げる
あげればキリがない
私もどうして良いか分からず迷い、体も重く、鬱だったのかも、と今思う
病院に行ってないから分からない
毎日来てくれていた学校からの訪問、担任からの電話を私は半年程経って断った
ありがたいと思ってる、ただ私なのだ、娘にとって学校が、周りが、じゃなく、私なのだ、私との関係、ここをもう一度しっかりしたい、そっとしておいてもらえないか、と丁寧に何度も話して理解してもらった
私自身も追い詰められなくて済む、少し楽になった
娘は私に、お母さんは幸せですか?とよく聞いていた
私は常に、幸せだ、と答えた
自分の心を押し殺して、そんな訳ないだろと思っても、幸せだ、と答え続けた
最近の娘
8時~9時の間に目を覚ます
起立性調節障害がある為、ベッドの中で自分で起きれるタイミングを計って体を起こす
私は仕事でいないから自分でする
目覚ましかけてもう少し早く起きれる様に自分でやってみるよ、と
料理をする、肉や魚を焼いてお母さんの分と冷蔵庫に入れてある、お仕事お疲れ様、良かったら食べてね、と
洗濯物を入れる。たたむ
自分のやりたいことをやる、絵を描く、ギターを弾く、小学高学年の勉強のやり直し
私に、こんな事をしてみた、と教えてくれる
一緒に買い物に行く、自分が食べたい物、作れそうな材料を選ぶ、重いからと荷物を運んでくれる
お風呂に入る、ハミガキする
21時30分、おやすみなさい
寝れなくても電気を消してベッドに入る
いつかは寝れるから、と
1年8ヶ月かけてようやくここまできた
娘から、お母さんは幸せですか?と聞かれる
健康で働けて、他愛もない事で笑えている、あの頃を思えばやっと出来る様になった、幸せだ、これ以上望めばバチが当たる、穏やかでいられる、それだけで幸せだ、と答える
娘、人と同じ様にやれなくてごめんね、上手くやれなくてごめんね、それでもお母さんに幸せに思ってもらえる様にやっていきたい、と言った
人を信じられない、と、誰も信じない、と泣き叫んでいた娘
少しは人を想える様に、少しは信じれる様になってくれたのか、と思った
誰も信じなくても私ぐらいは信じて欲しい、と思っていたから、素直に嬉しかった
あの頃の事を思えば今はこれで良い
今はこれが精一杯、無理はしない
義理の父の介護、上の娘が不安定、この事が加わって私は今疲れている
忘れない様に、元に戻らない様に、丁寧に娘と過ごす為の記録として日記を書きました
読んでくれた人へのメッセージ
読んで頂いてありがとうございます
久しぶりに日記を書きました
記録としての日記です
丁寧に穏やかに娘と過ごす為に、もう二度とあの頃に戻りたくない、学校には行けなくても、とりあえず今、穏やかでいたい、私は今疲れている、私の心を安定したい、忘れない様に書きました
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