きらはの日記『8年?!ちらっと振り返ってみた』
edit2024.11.27 21
行き渋り、不登校の親をやって何年?
あれ?何年だ?
次男が毎年同じ時期に行き渋ってから数えると、8年‼︎
その間に長男の中学不登校と娘の行き渋りもあり、ありとあらゆる事を経験したような…
なんでこんなに辛いんだろう?苦しい。誰か助けて!どうにかして!なんで行けないの?何がそんなに嫌なの?と悩みまくり、自分のメンタルも正常ではなかった時期もあった。よく乗り越えたなぁ〜。トリプルパンチ‼︎
次男に対しては、学校を休む事を許さずどうにか行かせてしまっていた。
時代だなぁ〜。
あの頃の不登校に対しての考え方はまだまだ学校に行かせる!が強かった。
それだけじゃなくて、次男は恵まれていた!
その頃の保健室の先生ったら温かくて思いやりに溢れた人だったので、どんな次男でも受け入れてくれて、それに応えなきゃと思い、私も諦めちゃいけない!と思って連れてってたのもある。
行けば楽しい。けど行きたくない。
先生から見ても学校に来れば大丈夫。と。
けど、毎日次男の辛そうな姿を見て、もう無理させない方がいいのかもしれないと思い1週間休ませかことがあった。
保健室の先生にも「一旦休ませます。」と。「でも…」と言われたけれど、その時は無理だった。
休ませてみて「また行ってみる?」と聞くと「行く」と言ってくれて再度連れて行った。
そらから、保健室には担任の先生、お友達、校長先生や支援級の先生など色んな人が来て関わってくれた。そのおかげもあって保健室は楽しい場所になった。
この時、私は初めて家族以外の人にも頼っていいんだ!と思った!それも大事な事なんだという事を知った。
それから、次男は教育センターに行って検査をし、支援級に転籍した。
教育センターでは、30分ただカードゲームをするだけ。最初は何やってんだろ?と思ったけれど、その何もせず楽しむ時間こそ次男にとって大事だったということにも気付かされた!
要は、私の生き方下手くそだったんだなという結論に達した!笑
支援級に転籍してからは、自分のペースで過ごせることと先生との相性もあり、毎日楽しくて、登校班でも行けるようになり、放課後も遊びに行くようになった!
今はまた中学不登校だけど、小学校での経験と支援級で過ごした時間は次男にとって大切な思い出だし、これからの人生に影響を与えるだけの経験ができたと思う。
人に頼る事の大切さ、頼られる喜び、真面目すぎなくてもいいこと、楽しく過ごすことの大切さなど。
まだまだ、できないと思い込んでいることが多くて子どもなところはあるけれど、これからの成長が楽しみ!
動き出すまでは時間がかかるけど、動き出したら止まらない!ってくらい成長することは分かっている!
しかし、問題は勉強面‼︎かなり苦労すると思う。
必要ならやるしかないからやるだろう!たぶん!と思っています!
読んでくれた人へのメッセージ
お読みいただきありがとうございます。
辛い時期もあるけれど、きっと大丈夫!自分の殻に閉じこもる時期は人それぞれだけど、また顔を出す日は来ます!うちの次男もまだ、殻に閉じこもり中?不登校なのになぜか悩んでる感じではないのが不思議。もっと自分と向き合って葛藤しなくていいの?と思ってしまう。まぁ、その分これから苦労はするだろうなと思うと頑張れ!としか言えないですが。笑
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