『100日後に死ぬワニ』と私の100日と…

こんにちは。yukiです。

子どもに教えられTwitterで毎日『100日後に死ぬワニ』をみています。とうとうあと数日となりました。お読みいただくタイミングによってはもう100日過ぎているかもしれませんね。この話、なんでもない日常をワニが過ごすただの(?)お話。だだこのワニの余命が100日で、今この瞬間もカウントダウンしている事をワニが知らないというだけで、グッと切なさが増します。

人気商品を通販で頼んで到着予定日が100日後でもワクワクで待っていたり、今年できなかったことを来年にのばしてみたり…

特にね…感銘を受けてほしい訳でもなく、お勧めしているつもりもないのですが、100日先って当たり前に来るわけでもないし、また望んだように未来をコントロールすることは難しいな…そうも思います。

うちの息子が不登校していた頃の100日間は…こんな感じです。

  1. 息子が学校を休みたいと言った
  2. その日を境に学校に行かなくなった
  3. 病院を巡ったけれど動かない
  4. 部屋から暴れる音と叫び声が聞こえる
  5. 100日後

①息子が学校を休みたいと言った

まさに初日です。うちは部屋からラインがきました。文は『今日お休みしてもいい?』でした。私は病気ならば仕方がない。明日には治るだろう。部活で差が開くなあ…勉強が遅れるなあ…そんな気持ちになりました。『OKお大事に』とラインを送り、食事の支度をし、仕事に行きました。仕事を休む選択は頭に浮かびませんでした。この日の私のとった行動はどうですか?

この100日後に私が死ぬと分かっていたら?私は息子になんと声をかけたのだろう。

②その日を境に学校に行かなくなった

正確に言うと、次の日は行くけど、そのまた次の日は休んで…と繰りかえし休む間隔が伸びていき、とうとう行かなくなった…そんな感じでした。その時の私は、前にインタビューでもお答えしたのですが、これが不登校だとは夢にも思わず、病気なの?どうしたらいいの?どうしたら治るの?ととても心配でしたが、それでもその心の奥底にはやっぱり、部活で差が開く焦りと、勉強が遅れる苛立ちが強く、早く治して学校に戻さなければ!そればかり考えて病院ばかリめぐりました。

この90日後に私が死ぬと分かっていたら?病院に連れていく理由も変わったかもしれません。

③病院を巡ったけれど動かない

お薬がでて…毎日せっせと薬を飲ませました。『早くよくなるといいね』そう言いながらも、私は学校に行く様にさえなれば、例えこの薬が『毒』でも構わないと思っていました。よくなれば体はどうなってもいい…その心には、学校に行って!その気持ちが強い事を分かっていながら子どもを心配するいいお母さん面していました。うちの子…行けないんです…お薬も飲んでいるんですって…。言った記憶があります。これって誰に対する何のためのアピールだったんでしょう。そして子どもの不登校で悩むブログなどを読んでも、うちの子はみなさんとは違うんです。不登校じゃなくて『行きたいのに行けないんです。病気なんです』そう思っていました。

この80日後に私が死ぬと分かっていたら?行きたいのに行けないなんて表現に拘ってはいなかったでしょう。

④部屋から暴れる音や叫び声が聞こえる

息子も…苦しんでいたのでしょうね。部屋で暴れる日々が始まりました。襲われる、殺されるそんな恐怖もありました。それでもどうしていいか分かりません。大きな音におびえながら、だけど他の家族の為にも、私が怖がっていては不安を与えてしまうと、必死に踏ん張りました。大丈夫大丈夫だからねと家族に話しながらじっと耐えました。この子は病気だ…どこかに入院させた方がいい。だけどどうやって連れていく?どこに相談したらいい?部屋に行ったら逆上するだろうか…毎晩毎晩恐ろしい夜を過ごしました。

この70日後に私が死ぬと分かっていたら?思い切ってドアを開けたかもしれません。

⑤100日後

はじめて学校を休んだ日から100日経っても息子は変わっていませんでした。それどころか、お風呂に入らない、歯を磨かない。リビングに立ち寄らない…などどんどん困ったなが増えていき…むしろ状態はよくなかったです。その時は私なりに最善を尽くしたつもりでしたが100日位じゃどうにもなりませんでした…。

その後、心の闇を行ったり来たり…繰り返しながら約三年かけて動き出した息子。今は県外で一人暮らしをしていますが、長い休みになるとまとめて帰ってきます。息子が帰ってくると、実はね…今でも…夜には部屋から激しい大きな声が聞こえているんです。ドアを開けていないから大声の相手は分かりませんが、リビングのWi-Fiのランプが激しく点滅しているからきっとゲームをしているのでしょう。ただね…実家でも一人暮らし先でも、お友達が泊りに来ることもあるんです。その時には夜中の罵声が聞こえないんです。だからお友達といる時は夜中は叫んでいないってことなんですよね。例え…一人暮らし先でこんな大きな声を出したらきっと苦情が来ているはず。未成年なので私が保証人だから私にも連絡が来ているはず。その連絡もないという事は…きっと息子は実家だから、ここなら大丈夫だと息子なりに判断をして大声をだしているのだと思います。

不登校だって…子どもなりの判断あってのこと。

息子の不登校の日々を振り返ると、私はずっとずっと息子の為といいながら私の為に私の都合のいいように息子を変えようとしていました。諦めるっていうと変だけど…息子にとっても私にとってももし余命が100日ならば…そんなに必死に学校に戻そうとしただろうか、学校にそんなに拘る意味があるだろうか。そうも思います。もちろん逆に100日以上生きることも考えてそのためにと考え生きることも大事です。バランスの問題でどちらかが100でどちらかが0ではなく、必死さや拘りをほんの少し緩めてみてもいいんだよ。とその頃の私に声をかけたいです。

きっときっと今お子様にどう声をかけたらいいのか…お悩みのお母様も多いと思います。いつも100で挑まずに^^いっそね…全く違う話をするっていうのもありですよ^^不登校関連の声掛けゼロで、全く不登校に触れず拍子抜けする位違う話ばかりする日があってもいいのかもしれません。

未来はくるくるみんなにくるくるyukiでした

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