未来地図スタッフインタビュー企画!
今回は「陽」さんの体験談を聞いてみました。
Q1.自己紹介をお願いします。
陽と言います。
ASDの長男と、繊細さんの次男を育てています。
(何なら旦那も軽く育てていますww)
長男は中2〜3の間不登校を経験しました。
今は通信制高校の、週3通学コースに通っています。高校2年生です。
次男の方が不登校歴が長くて(笑)、小学2年生から、中学1年生の今現在も不登校をしています。
Q2.お子さんが学校に行かなくなった「きっかけ」があれば教えてください。
次男の場合は、まったく分からなかったんですよ。
小学1年生から行きしぶりをしていましたが、そもそもなんで行きづらいのかも分からなくて。
お友達も多い子でしたし、先生も優しい先生。お勉強も、親の私が言うのはなんですけど、できる方でした。
だから、ある日突然、泣いて暴れて学校に行けなくなったんですけど、本当に意味が分からなくて。最初は原因探しばかりしていましたね。
長男は、発達の特性もあり、もともと脳が疲れやすいんです。
なのに、中学では野球部に入って、忙しい日々。
また、地元の公立中学が、その辺の私立よりもよっぽど学習面で厳しくて、いろんな意味で限界が来たんだと思います。
Q3.学校に行きたくないと言われた時、どう思いましたか?
先ほども書きましたが、次男の時は本当にびっくりしました。
2学期、3学期と付き添い登校していましたが、そのうち自分の中で折り合いをつけて、行くようになるだろうと思っていましたから。
でも、原因も特に思い当たらなかったので、最初は私が当時フルタイムで仕事をしていたこともあり、心が疲れちゃったのかなと。
なので、1ヶ月ほど休めば、また元気に学校に行くようになると思っていました。
長男の時は、すでに次男が不登校2年目でしたし、見た目にも限界なのがわかっていたので、ああ来たか、と。笑
Q4.当時、困ったことは、ありましたか?
次男の時は、小学2年生という年齢でもあり、本人の不安が強くなっていたみたいで、24時間私から離れられない生活になったことが、一番困りました。
といって、外に出ることもできなくなっていたので、近所のスーパーに行くにも一苦労で。必死に説得して、ある時は泣き叫ぶ次男を振り切って、最低限の用事をしに外出していました。
当時は私自身が、過労からうつ病を患っていましたので、ネットスーパーの利用もできなかったんです。ネットでカタログを見て、必要なものを選ぶという行動ができない。その時に実物を見て、なんとか必要なものを購入する状態だったので、ささやかなことですが、毎日の買い物が困りました。
あとはフルタイムで働いていたため、仕事を休職せざるを得ませんでした。
不安定な次男がずっとべったり一緒にいることで、私自身のうつ病の治療にも専念できずに、仕事復帰のタイミングも全く見えなくて、憂鬱でしたね。
長男の療育への送迎や、学童のイベントなどの対応も、当時は私1人で対応していたので、非常に困難でした。
長男の場合は、自傷行為や飛び降り未遂などがありましたので、それを止めることが大変でしたね。当時中学生で、もう体も大きかったので、私も全力で、まさに体当たりで行動を止めたりして、気がついたら体に痣ができてることもよくありました。
Q5.どんな風に自分の気持ちが変化していきましたか?
先ほども書いたように、最初は1ヶ月くらいゆっくりしたら、また登校すると軽く考えていたんです。だから、たくさん出かけたり、楽しいことをしたりしてました。
それが、次第に外出すらもできなくなり、あれ、なんかおかしいぞ、と。
当然1ヶ月が過ぎても登校することはできず、本格的に焦ってきた感じです。
それからは、学校には行かなくてもいいけど、せめて外に連れ出さなきゃ、学習だけはさせなきゃ、と、必死でした。
どうしていいかも分からなくて、ネットで検索しまくっているうちに、渡辺位先生の本や、繊細な気質の子がいるということ、地元の親の会など、色々な情報と出会いました。
そんな中で、子ども自身を丸ごと受け入れることや、自分の心と向き合うことの大切さを知って、少しずつ変化していったように思います。
私の場合は、自身のうつ病と向き合う中でも、次男の気持ちを理解する大きなヒントを得られたと感じています。
Q6.お子さんとの関係に変化はありましたか?
変化というか、元の親子関係に戻ったという感じです。
だっこちゃん人形のようだった次男が、次第に私から離れることができ、そのうち年相応の行動が出来るようになっていきました。
今でも一緒に映画を見たり、アニメを見たりすることも多いですが、それぞれが対等の立場で楽しめていると思います。
むしろうっとおしがられることも増えて、あんなに離れて欲しかったのに、むしろ少し寂しいくらいです。笑
長男は、まだまだ感情の爆発はありますが、それは彼の発達特性から、一生向き合っていかないといけない課題のひとつです。でも、以前のように毎日目が離せない状況ということはなくなり、どのようにコントロールしていくか、自分で向き合っていけるようになっています。
もともと私は、子どものやることや将来については、そこまで口出しをする方ではなかったのですが、以前以上に本人に任せることが増えたと思います。親ってこんなにやることなかったんだなって感じです。ということは、手出し・口出ししていないつもりでも、結構していたのかもしれませんね。
Q7.あの頃の自分に伝えたいことありますか?
「今の状態はずっとは続かないよ」「みんなで笑っている未来があるよ」と伝えたいです。
きっと大丈夫、という気持ちを必死に握りしめて、外側からくる不安に押しつぶされないようにしていたので、それでいいんだよ、大丈夫だよ、と。
ついでに、うつ病も寛解して、わりと元気になってるよ、とも。笑
――インタビューは以上です。
貴重なお話を聴かせていただき、ありがとうございました。
- 21
- ママたちの声を集めて届けるSNSはじめました。