未来地図スタッフインタビュー企画!
今回は「ヨーコ」さんの体験談を聞いてみました。
Q1.自己紹介をお願いします。
高齢出産で産んだ発達障害の息子(20歳)と娘(17歳)を育てるシングルマザーです。
近くに住む発達障害のモト夫のサポートもしています。
2021年に社会福祉士になり、現在はパートで働きながら、社会福祉士会の研修を受けています。
子どもは2人とも中2の2学期から不登校になりました。
息子は学校に行けない事で自分の人生に絶望していましたが、私は学校に行かなくてもなんとかなると思っていたので平常心でした。
娘も発達障害の特性上、公立中学校では大変そうだと思っていたので、
入学する前から「しんどくなったら無理に中学校へ行かなくていいよ」と伝えていました。
なので、娘は自分の不登校を悩みませんでした。
Q2.お子さんが学校に行かなくなった「きっかけ」があれば教えてください。
息子の不調は、夏休みに部活で重い熱中症になったのがきっかけでした。
その後、夏休み中はほとんど寝たきりだったので、熱中症が長引いているのだと思いました。
それに身長がすごく伸びて、起立性調節障害もありました。2学期になって「学校に行きたくない」のは、本人も私も体調のせいだと思っていました。
それでも、行ける日は車で午後から送ったりしていましたが、
11月に入って担任の先生の心無い言葉で息子が完全に鬱になり、
私はそんな先生のいる所に息子を行かせることに危機感を感じ「もう行かなくていい」と言いました。
そして、学校に電話して「もう学校へは基本、行きませんから。行く時だけ連絡します」と言いました。
息子は「あの時、心底ほっとした」と後で言っていました。この時から完全不登校になりました。
Q3.学校に行きたくないと言われた時、どう思いましたか?
体調が悪くて動けない、というのが先にあり、「学校に行きたくない」という言葉が出てきたのは、しばらくしてからでした。
そして最初は、体がしんどいから行きたくないのだと思っていました。
でも、一日の中でも元気な時もあって、不思議でした。
Q4.当時、困ったことは、ありましたか?
当時は離婚前で、モト夫は失業していて家にいました。
モト夫は息子を見ると虐待するので、なるべく顔を合わさないように暮らしていました。
息子が学校に行っていた時は、昼間会いませんが、2人とも家にいるので家の中の雰囲気がいつもピリピリしていました。
この時が、最悪でした。
息子がモト夫に殺されかねない状態になり、息子が中3になる時に離婚して、モト夫が出て行ったので、家の中が穏やかになりとても良かったです。
Q5.どんな風に自分の気持ちが変化していきましたか?
私に特に気持ちの変化はありません。その時々で必要なことをしてきたと思います。
親が見るべきは、子供の気持ちの変化です。
息子の重い鬱が今はどんな風か、
どんな経過をたどって改善するのか、
どういう時に不調になりやすいのか、
そしてどんな時に楽しそうで、
どんな時が辛そうで、
どんなことを考えて、
どんな風に成長して乗り越えていくのか、
今も観察し続けています。
Q6.お子さんとの関係に変化はありましたか?
ありません。
息子は私を選んで生まれて来たそうです。
そして「おかーさんがボクのおかーさんじゃなかったら自殺していたかもしれない」とこの前、話していました。
娘も私が困った時にサポートするたびに「おかーさんがおかーさんで良かった」と言います。
2人とも難易度の高い子ですが、私も育て甲斐があって楽しいです。
Q7.あの頃の自分に伝えたいことありますか?
「未来地図」のスタッフになって、世の中には子どもの不登校で悩んでいる人がたくさんいることを知りました。
そして、悩まない親なんて、私くらいだということが、驚きでした。
私は人に嫌われても平気です。
これが私だから、受け入れてくれる人だけが付き合ってくれればいいと考えています。
私を嫌う人でも、私は嫌いにはなりません。どんな人にも、そうなった事情があるからです。
自分と人を比べません。低所得でも、ひとり親でも、子供が発達障害でも、少しも引け目を感じません。
自分の子供はこうなってほしいという期待は持たないで、自分の子がどうなるのかを楽しみに見ています。
日本人の多くが「こうあるべき」に縛られて育ってきたようですが、私は違いました。
だから、私は昔から「変わった人」と言われてきたんだと分かりました。
――インタビューは以上です。
貴重なお話を聴かせていただき、ありがとうございました。
- 18
- ママたちの声を集めて届けるSNSはじめました。