ナミの日記『長女について⑥』
edit2024.09.09 181
長女の様子を見ながら、長女が少しでも元気になれるようにと色々な事を試しました。
起立性に対応している整体が近くにあったので通ってみたり(猫背で胃下垂、体も硬く肩こり腰痛があり生理痛もかなり重かったので。ただ、こちらは半年程で行かなくなりました。先生との相性が微妙でした…。)、ビタミンや鉄分のグミやラムネを続けて食べたり(こちらは今でも続けています。サプリ、錠剤より抵抗がないようです。効いているかは分かりません。立ちくらみがましになったかな?くらいです。)、お米にビタミン配合のものを混ぜてみたり…。
また、夕方は一緒に散歩に行ったり、あとは何をしても頭から否定しない、ご飯を食べなくてもお風呂に入らなくてもできる時にやってね、という感じで(いい意味で)放っておきました。
夏になっても長袖を着て、自傷の傷を頑なに隠そうとしていたので、「家では隠さなくていいよ」と伝えました。すると、徐々にではありましたが家では隠さなくなりました。次女への影響ももちろん考えました。ショックを与えてしまうと思いました。ただ次女には日頃から長女の状態を伝えていたし、フォローもちゃんとしてきたつもりでしたので、もちろん次女の本心は分かりませんが受け入れていたように見えました。
それでもなかなかすぐに回復とはもちろんいかず、相変わらず光のない目で携帯を見続け、イライラしてる状態は(話しかけても普通に会話するのが難しい状態)1年程続きました。(ひどい自傷も変わらず)
ありがたかったのは学校へ行けなくてもお友達が定期的に遊んでくれた事でした。ただ、傷の事をお友達はどう思うんだろうか、嫌な気持ちにさせたり、何か影響を与えてしまったりしないだろうかとも考えました。しかし、そこは私にはどうする事も出来ないので、申し訳なさと有り難さが入り混じった気持ちではありました。
夏から秋にかけて、コロナが住んでる地域でも再び流行り始め病院の予約も取りづらくなったり、感染るのも怖かったり、また、長女自身が行きたくないと言い出し私だけが行っていた事もあり、病院通いも足が遠のきました。
その様な感じで、相変わらず学校へは全く行けないまま中学1年生が過ぎていきました。
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