未来地図スタッフインタビュー企画!
今回は「まひろ」さんの体験談を聞いてみました。
Q1.自己紹介をお願いします。
私には31歳の娘と25歳の息子、二人の子どもがいます。
弟である息子が不登校になったのが小学校5年生の時。
そこから高校3年までの8年間、年間30日以上学校を欠席する不登校状態でした。
6歳上の姉も息子が中3の年、21歳の冬に突然倒れ、その後大学を一年休学することとなりました。
なんとか大学は卒業したものの、おうち生活続行の無所属となりました。
その後紆余曲折を経て2022年の春、二人とも新社会人デビューを果たしました。
私は2016年からアメブロでブログを書き始め、今はこうして未来地図の運営に関わる傍ら、個人でも自己指圧caféやお茶会、相談室などの活動をしています。
Q2.お子さんが学校に行かなくなった「きっかけ」があれば教えてください。
きっかけについては、当時はわかりませんでした。
今から思えば、それまで息子は常に周りの期待に応えようと、がんばり続けていたのだと思います。とても繊細で、人の気持ちのわかる子どもでしたので。
成長期に入り、身体の成長に必要なエネルギーが増大し、今までと同じようには動けなくなった、というのが本当のところだったのかもしれません。
きっと動けなくなった本人も、その理由がわからなくて困惑していたことと思います。
Q3.学校に行きたくないと言われた時、どう思いましたか?
まさに青天の霹靂でした。
うちの子に限って不登校になるなんて!あり得ない!!
まったく受け入れることはできませんでした。
なんとか学校に戻す方法を、担任の先生や、教頭先生校長先生まで巻き込んで、模索しまくりました。
Q4.当時、困ったことは、ありましたか?
困ったことだらけでした。
当時私はPTAの役員を引き受けていたり、隣に義父母が住んでいたりしたことから、世間の目が気になって仕方なかったのです。
子どもを不登校にしたダメな母親、ダメなお嫁さんと、周りの人から見られることを極端に恐れていました。
Q5.どんな風に自分の気持ちが変化していきましたか?
なんとか子どもを学校に戻そうと四苦八苦した時期を過ぎ、中学生になると息子はなんと!張り切って勉強に塾にクラブにと、完璧に復活を果たしました。
ところがやはり、そんな無理ながんばりも長くは続かず、中1の冬に再び倒れて全く動けなくなってしまったのです。
生気なく、「死にたい」と言ってうずくまる息子の姿に、
「もう、生きていてくれさえすれば、それでいい…」
心からそう思いました。
そこでようやく私は、不登校というものを受け入れることができたのだと思います。
息子の不登校が始まって、3年を迎えようかというタイミングでした。
Q6.お子さんとの関係に変化はありましたか?
大きな変化がありました。
それまでは、何でも母の言うことを聞くいい子ちゃんだった息子が
何を言っても、ビクリとも動けなくなったのです。
母のコントロールはもはや不可能なのだということを、とことん思い知りました。
そんな中で、ただ毎日死んだ魚のような目をしてPCを眺めるだけの息子が、クスッと笑うの見た時のうれしさを、私は今でも忘れません。
この子が笑ってくれるためだったら、何でもする。
イヤなことは何もしなくていい。
母の想いなんてどうでもいいから
とにかく彼が、自分の思い通りに生きてくれたら、それでいい。
心からそう思った時から、息子は少しずつ元気を取り戻していきました。
Q7.あの頃の自分に伝えたいことありますか?
「いいお母さん、いいお嫁さんでいなければ…」と、あの頃まひろちゃんは必死でがんばっていたよね。
「自分がどう生きたいか」よりも、「人からどう思われるか」
それが大切だったんだよね。
だけど、息子くんの方に強制終了がかかって、そんな価値観がガラガラと崩れ落ちたね。
人の目を気にしてがんばることをやめたら、新しい世界が見えてきたね。
息子くんの好きなことは、結局は生きる糧に直接つながらなかったかもしれないけれど、あの時息子くんを信じて、全てを任せる選択をしたから、彼は今、立派に社会人として独り立ちできているんだよ。
お姉ちゃんもそう。
大人が無理矢理進路を引いてやる必要なんてない。
子どもは自分で考え、自分で選んで自分で進んでいく。
彼女も自分の意志で3年間の専門学校を経て資格を得て、今立派に独り立ちしている。
お姉ちゃん、息子くん、そしてまひろちゃん
お互いを信じあえる、ステキな親子関係の再構築ができたね。
不登校によって、人生の一番大切な宝物を手に入れたまひろちゃん。
おめでとう!!
――インタビューは以上です。
貴重なお話を聴かせていただき、ありがとうございました。
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