すずの日記『ちょっと落ち着いた』

皆さんが、うちはこうだったよ、や共感のコメントをくださって、本当にありがたいです。

リアルの周りに自分と同じ人は見当たりません。
知らないだけかもしれないけど…
皆んなそうだとしても隠すから、知りようもなく。

だからうちもお風呂はこうだった、歯磨きはこうだった、具体的に教えてくださって、こんなに頼りになることってなくて、、、泣
自分の情報しかないと、ずっとこのままでは?この不安感で押しつぶされそうになります。

自分のことも少し振り返ります。

私は三人兄弟の3人目、一人娘がゆえに母親のお人形だったと思います。
母親は確実に愛着障害だと思いますが、その中でも頑張って育ててくれたと今は思います。
ただ子供の功績が自分の功績、自分がやりたかったこと、着たかったもの、私に被せてたと思います。

父親は厳格。仕事の人。単身赴任もしょっちゅうでした。ただ父親の性格は私と似ています。

両親からして悪い事をすると昔ながらですが鉄拳制裁でした。父親に髪の毛引っ張られ、蹴られたこともあります。

3歳から妊娠するまでずっとバレエをしていました。
それなりに活躍したと思います。
勉強もできたので、一般入試は経験がなく推薦で高校、そこからは親の言うことを聞きたくない気持ちが強く悪い事をしたり、親のすすめの大学進学もわざとせず専門学校に入りました。

今考えるとこう思ってたんだと思います
『私は少しできるだけでお母さんとお父さんの期待に応えられる程の天才では無い。だからどうか諦めて。ありのままの自分を認めて』

実家にいる時は鳥籠にいるみたいでした。
そんなこともあり20歳で結婚、23歳で出産。

親にありのままを認められたい、そんな気持ちは夫に認められたいにすり替わっただけでした。

夫はいつも私をダメだと言いました。
子供のまえでも母親としての私を非難しました。
今はそれは間違っていたと分かってくれていますが、私の中では消えません…

そんな事もあり、若く産んだ事もあり、私が母親だからこの子をダメな子にするわけにはいかない
その気持ちが強かったです。

マイペースな子だった事もあり、鉄拳制裁は無いにしても厳しく育てました。
中学受験に関しても、かなり厳しく勉強、模試の結果をジャッジしてました。最低ですね。

不登校になった時娘が言ったこと、ずっと残ってます

『家庭科で100点だった時、英語で96点だった時、なんで、頑張ったねって言ってくれなかったの?』

娘は私が子供の時思ってた事と同じ
ありのままの自分を認めて
そう叫んでるに違いありません。。。

この事をきっかけに、私はもうちゃんとした母親という呪縛を自分から降ろしてあげたいと思っています。

でも、やっぱりそう簡単にはいかず…
風呂に入らない、歯を磨かない、自傷を繰り返す、そんな娘をありのまま受け入れる事に今は疲れてしまってます。

そんな時この未来地図の皆さんは本当に心強いです。
自分のことを振り返ったりするきっかけにもなります。
皆さんに本当に感謝です

star今日できたこと♪

めんどくさい揚げ物、早くに準備しておいしく作れた!

favorite読んでくれた人へのメッセージ

読んでくださってありがとうございます、
子供がもし読む可能性も考えて、前回の日記は削除してしまうかもですが皆さんのコメント、コピーして自分のメモに貼り付けます。
消さなくても非公開に設定したりする事ができたら良いのですが…

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