こんにちは(*^^*)
ともみです。
「子供自身がしんどいのはわかるけど、ワガママに感じる。。」
これ、不登校の初期、私も感じていました。
子供が不登校になってスクールカウンセラーに相談したり、不登校関連の本を読むと
「子供が一番つらい」
「お母さんは子供の気持ちに
寄り添うことが大切」
●なんで子供が一番つらい?
●学校を休んだ子供に
寄り添うってどういうこと?
●学校に行きたくないって
ワガママとしか考えられない。。
毎日学校に行くことが【普通】で、【ちょっとしたこと】で学校に行かないなんて【ワガママ】としか考えられない。。
それなのに
「子供が一番つらい」
「気持ちに寄り添う」
って何なの(¯―¯٥)
私は全く理解が出来ませんでした。
子供の気持ちよりも。。
もし、子供が大きなケガあるいは病気と診断されたら。。
学校を休むことをワガママとは思いませんよね。当たり前ですが。。
それは
●医師に診断されたから
見た目でわかるケガでしたら疑いませんが、頭が痛い、お腹が痛いという訴えに
病院での診断が「異状なし」だったらどうでしょうか?
でも、心理的な症状と言われたら、それは理由として、不登校を受け入れることに少しは抵抗がなくなる。ということになるのではないでしょうか。
自分の子供の訴えだけよりも医師の診断があったほうが安心する。
ちょっと極端な言い方になりますが、自分の子供の訴えより医師の診断が信じられる。。ということになるのでは。
【普通】【ちょっとしたこと】【ワガママ】は何と比べているのか?
子供にとっての学校。。
学校での出来事をどう感じているのか。
それは子供自身の感受性で受け取ったこと。
それを【普通】【ちょっとしたこと】【ワガママ】と捉えてしまうのは
親である私たちの思いや経験との比較だったんですね。周囲や常識との比較です。
「学校に行きたくない」
という訴えをそのまま受け止められずに、励ましたり、何かで釣ったりして誤魔化したり。。
親としては正しい方に導いている。との思いからだとしても。。
でも、それは子供からみると【気持ちを否定された】【わかってくれない】と感じます。
それが続くと身体症状や心理的な症状に繋がっていきます。
不登校は親の【価値観】を見直す出来事
学校を休みたくないのに嘘をついて休む子供はいません。
でも、休みたいから嘘をつく子供はいるかもしれません。
意図して嘘をついてなくても、取ってつけたような理由を言ったり。。
それが嘘だとしても
【休みたい気持ちは真実です】
休みたい気持ちになったには子供なりの理由があるはずです。
それを親からみた【普通】【ちょっとしたこと】【ワガママ】に当てはめてしまうと。。
子供との信頼関係がガラガラと崩れていってしまうんですよね。。
すごく悲しかったです(T_T)
価値観て自分の知っているもののほうが心地良く安心するので、子供が間違っているほうが親自身の心にとっては実は都合がいいのです。
子供をワガママと感じたら、自分の気持ちを見つめる時間に。。
「なんで学校に行かないんだろう」
「なんでそんなことが嫌だと言うんだろう」
とつい子供の気持ちを一生懸命考えてしまいますが。。
それは子供自身しかわかりません。
本人にもわからないときがありますしね。。
心理学などで、子供の気持ちを推測することは出来ても
感じることが出来るのは自分自身の気持ちだけなんですね。
でも、意識しないと自分の気持ちなのに感じられないときもあるのです。。
そこで私たち親自身が
「なんで私は学校に行ってほしいとこんなにも思ってしまうんだろう」
「なんで私は子供の【嫌】が理解できないんだろう」
普通はとか、当たり前とか、仕方ないを取っ払って、自分の気持ちを見つめる時間を確保してみる必要があるのかな。。と思います。
長い間身に着けてきた価値観なので、かなり頑固ですが。。
きっと少しづつ同じ目線で子供の気持ちの辛さを感じられるようになると思うんです。
例え、共感できなくても想像の範囲内になってきたり、変化はあるはずです。
価値観を見つめることはひとりでは苦しいこともありますから、自分の思いを外に放出しながら。。
美味しいものを食べたり、好きなことをして、気晴らしをしながら。。
辛いときこそ意外なチャレンジが出来ることもあるかもしれません。
私自身の変化としては。。
ワガママはダメなこと思っていた私ですが、子供のありのままの気持ち、自己主張なんじゃないか?
と今は思えているんですよね。。(^^)
読んでいただきありがとうございました。
心まあるく
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ともみでした(*^^*)
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