新しく未来地図のスタッフに加わった「エリー」さんにお話を聞いてみました。
Q1.自己紹介をお願いします。
エリーと申します。
18歳の一人息子が中2の5月から完全不登校になり、卒業後進学しなかったので無所属となりました。
一年半後、息子自身が中卒は嫌だと
10月に通信制高校へ入学しました。
半年で一年分の単位は取れたものの、
今後が不安になり私の兄(元高校教諭)に相談して
今、行っている通信制サポート校を教えてもらい
転学し高校2年となりました。
息子が不登校になったことで
アメーバブログを読む様になり、
自分でも書く様になり「しあわせは自分の心が決める」、
京都で不登校の親の会「ゆるっと♪kyotobase」の運営もしています。
宜しくお願いします。
Q2.お子さんが学校に行かなくなった「きっかけ」があれば教えてください。
小学校からのトラブル解決時、
先生の騙し討ちに合って
加害者の謝罪を受けたことにより先生不信が決定的な物になった…
そんなこともありましたが、色々と重なり動けなくなった感じです。
今から思えば息子はHSCの敏感体質であり、
なるべくしてなった不登校と言えそうです。
息子自身は「理由が見当たらないレアケースの不登校」と言っていました。
Q3.学校に行きたくないと言われた時、どう思いましたか?
最初、息子は学校へ行きたいと言っていました。
ですが、時々襲われるひどい頭痛や不眠。
学校へ行こうとするとお腹が痛くなり
トイレに篭り登校時間が過ぎる…
制服を着ようとすると吐き気がする…
顔面蒼白で動けなくなっている息子を見て
私は「もう、学校へ行かなくて良いんじゃない?行くな、行くな」と言ってしまい、
学校を取り上げたのは私か?と自分を責めていました。
Q4.当時、困ったことは、ありましたか?
学校へ行って社会に出る道しか知らなかったので、
学校へ行けないと息子の将来が閉ざされた様に感じてしまい不安だったと思います。
Q5.どんな風に自分の気持ちが変化していきましたか?
最初は息子の事が頭から離れることはなく、
私自身消えてしまいたい衝動に駆られるほどで毎日泣いていました。
その頃、不登校の先輩ブロガーさんの記事を遡って読み進めることで
なんとか自分を保っていた感じです。
1ヶ月半後、知り合いの7歳のお子さんが
病気で亡くなり、そのことで息子は
学校に行かないだけで生きていることに気付きました。
命があれば。
命さえあれば何とでもなる。
私が腹をくくれた瞬間です。
それからは息子の今後の心配は息子に任せて
私は私のやりたいことをして来ています。
息子の不登校を切っ掛けに私の学びは広がりました。
Q6.未来地図を知ったきっかけは?
保護者向け「不登校を考えるアンケート」を
Kunさんに連絡してデータを送ってもらったことや、
ブロ友さんを通じてまひろさんと繋がっていたので
未来地図の発足時は影ながら応援しておりました。
親の会「ゆるっと♪kyotobase」の紹介も載せて頂いています。
Q7.未来地図スタッフをやりたいと思ったのは、どうしてですか?
お声を掛けて頂いて、正直私が出来るか不安で即答出来ませんでした。
断るのはいつでも出来ると思い、
初めてmiraicafeに参加させて頂いた所
とても暖かい場所だったので安心して仲間入りする事ができました。
Q8.あの頃の自分に伝えたいことありますか?
子どもは無限の力を秘めた素晴らしい存在。
大人のなり方も人それぞれ。
今は色々な選択肢があるので大丈夫。
「Things will never be the same」
(物事はずっと同じではあり続けない)
子どもの素敵な未来を楽しみにしよう!
――インタビューは以上です。
貴重なお話を聴かせていただき、ありがとうございました。
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