「まだかな…いつになるかな…」
待ち合わせ場所に来るはずの人が、かれこれ1時間くらい来ない。
いつ来るかも分からない。
来ないかもしれない。
来るかもしれないから、まだ待とうかな…
来るのか来ないのか分からない人をずーっと待つことは、疲れるし大変です…
【不登校の子を焦らず待つ】
という話になった事があり、違和感がありました。
何故かな?と考えていました。
※個人の考えです。
待つというのでもなく、見守る…とも違うかな…わたしの子供たちとは…
「今という時を慈しみ、毎日を大切に過ごし、生きる」
過去を嘆くときもあるし、未来に不安がないわけでも、ありません。
不登校になり、子どもたちが生きてることって、当たり前ではないことに氣付かされました。
朝遅くても起きてきて、ご飯もしっかりでなくても食べて、You Tubeやゲームばかりでも、それが出来る目や耳や手がある。
当たり前なようで、当たり前ではないことって、見回せばたくさんあります。
わたしは、中学隠れ不登校から高校を中退し、引きこもった時に感じてた事がありました。
当たり前のようにある、衣食住がままならない人や国もある。
そんな中、寝られる家があり、食べるものがあり、着るものがあって、水が飲めて…これって、素晴らしい事だよね✨
ありがとう!
美味しいケーキも食べられる、家族もいる、温かいお風呂も入れる、幸せ…
友達?居なくても生きていける。
その時は、孤独でも楽だった。
家族以外の人と接しなくて、楽だった。
寂しくもなかった。
両親も居たし、犬もいた。
学校?行きたきゃいつでも行ける。行けなくても、何とか生きていける。
命…心…それが無かったら…?
心と体…命があれば、この先どうとでもなる!
20歳頃には、今置かれている環境を、現実大肯定していて、感謝探しをしていました。
客観的に見れば、フリーターだし、時にニートだし💧
親のすねかじりだし…
(´;ω;`)
病氣だし、すーぐ再発するし、生きたくないとも思うし…
けど、当たり前ではない事がたくさんある、この日常に感謝していました。
そうすると…
自分の病氣は、障がいは、結婚子育てなんて無理と言われていた時代でしたが…
奇跡が起こりました。
嘆いてもいい、泣いてもいい、立ち止まってもいい。
それでも、今あるこの日常が当たり前ではなく、奇跡の連続なんだということに感謝していられたら…
(とあるアニメのパクリですが😓)
今目の前にある、与えられていることに、尊さを感じられるかもしれません。
今もわたしは、客観的に見たらそこまで裕福でもなく、恵まれてるわけでもないかもしれないけど、シアワセ感度は、人の何百倍もあるかも✨
客観的に見たらなだけで、本人視点では、充分豊で恵まれてますよ🎵
【待つこと】から、随分話が逸れましたが💧
今目の前の日々の中にある幸せを、感じてもらえたら✨と思いました。
それでは、また!
お読み頂きありがとうございました☺
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