私には小6、3、1年の子どもがおり、3人揃って絶賛のんびりまったり呑気に不登校中です。
そして、私も不登校経験者です。
今回、30年以上前の私の不登校経験を少しお話ししたいと思います。
私が不登校になったのは、中学2年の秋でした。
きっかけは、女の子の仲良しグループから、つまはじきにされたこと。
よくある理由です。
もともと私は内気で、そのグループ以外の子たちと交流もなかったため、たちまちクラスで孤立。
そんな訳で、高校受験の大事な時期だというのに、
私は学校に行けなくなってしまいました。
それに驚き、戸惑ったのは母でした。
親戚全員が当たり前に名門校に進んでいた我が一家にとって、私が名門高校に入るのは母にとっても至上命令でした。
それが、まだスタート地点に到着もしていない段階でつまずくとは!!
「今日は登校しないの?」
「たかだかイジメくらいで情けない」
「学校に行かないなら家で倍の勉強を」
「今、どんな時か分かっているのか?」
「今までの努力が水の泡」
何を言われても、朝から夕方まで私は布団を頭からかぶり縮こまっていました。
そして夕方になると布団から出て、夕飯を食べました。
何故、夕方になると布団から出られたか?それは、学校が終わる時間だからです。
登校している生徒も帰宅する、だから私も家にいることを、
ほんの少し許されるような気がしたのです。
当時の母の大変さは、今なら分かる気がします。
大切な子どもが人生というステージで、輝けるよう親は全力でサポートし、子どもにライトを当て続けます。
それなのに、当の主役がステージに出てこない。
舞台袖にいるなら、まだしも、楽屋に鍵をかけて、中の様子も分からないのですから。
親が楽屋のドアを叩き、理由を聞くのは当然でしょう。
さて、ステージから逃げ出し楽屋に籠城した私は、
当時何を見ていたか?
感じていたか?
ドアをたたく音も、母が怒ったり、
泣いたりする姿も全て聞こえ、
家族全員の顔色さえ見ていました。
それなのに、震えるだけの自身が情けなくて仕方ありませんでした。
しかし、同時に、自分が立っているはずのステージに、
いつのまにか母が立ち
「私は、こんなに大変なんです」
「悲しいのです」と、沢山のライトをあびながら大声で叫ぶ悲劇のヒロインになっているようにも見えました。
籠城している自分は、悪者。
それを、こじ開けようとしている母が悲劇のヒロイン。
あれ?
私がイジメられたのは、不登校になったのは悲劇ではないの?
誰も可哀想とは言ってくれないの?
人生経験があり、未来が私より少し見える母には、
私が崖を真っ逆さまに落ちていくように見えたことでしょう。
しかし、当時の私が欲しかったのは、母の経験を踏まえた未来予測ではありませんでした。
「今まで頑張った」
「あなたは大丈夫」という言葉と
「ここにいて良い」という居場所だけ。
ステージには立てないけれど、いつか戻るから、
小さいライト1つだけでも灯しておいて。
当時は、そんな気持ちでした。
ステージ管理も、ライトを灯すのも、大変なのよ。
金もかかるのよ!
親になった今の私は、そんな気持ちですけど(笑)
でもどうか、子どもの立つステージを親が奪わないでください。
悲劇のヒロインをしたいときは、未来地図サイトや未来カフェで。
四方八方からライトがバンバン当たり、
観客はあなたの言葉を一言一句聞き漏らさず、
涙して、声援をくれます。
そのステージの高揚が忘れられず、
ついつい私は大根役者だというのに、こうやって顔を出してしまうのです。
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