オレンジの日記『母親失格』
edit2025.08.06
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両親から反対された結婚を、ほれ見たことかと言われるのが悔しくて、15年意地を張り続けた結果、結局、子供が多感な時期に離婚することになりました。
息子は今、21歳。
ここ数カ月は授業もバイトも何もできず引きこもっています。
不登校になった5年前から、この子のことで、ずっと気持ちが重たいままです。
発達障害のグレーゾーンです。
今まであらゆることを試してきたけれど、だめでした。
何度も裏切られました。
小さいころ、発達障害ということを私が受け入れられず、普通にしようと思うあまり、
十分な愛情をかけてあげられませんでした。
今更、愛情を注いでいるつもりですが、端から零れ落ちていきます。
本人も、何度もがんばっています。
不登校になる直前、未提出の課題について問い詰めた私を、初めて叩きました。後にも先にも、その1回だけです。ああついにきたかと、わかってはいても、心が痛かった。
自分でも、ダメだダメだと思っていたんです。
元夫に殴られて自分が一番しんどかったのに。
私が息子を叩いて言うことを聞かせるようになってしまっていたから。
中学生になって、初めて抵抗されました。でも、構わず言うことを聞かせようとしていました。
高校生になって、叩かれ、不登校になりました。
壁に穴がいくつも開きました。私と揉めると、息子は児童相談所に電話をして、私が息子を虐待していると言いました。職員の方に、涙ながらに今までのことを話しました。
全日制高校にまだ籍があった頃、登校するかしないかで、とても苦しかった。
Lineで、死にたい、まだ死にたくない、そう言われました。
トイレに籠もって、でてこられなくなりました。
学校に行ったはずが、登校していませんと、職場に何度も電話がありました。
突然行方不明になり、飛び込んだのではと、夜の川辺を動悸をこらえながら車で走りました。
そのころ、藁にもすがる思いで、恥を捨てて私の周りのあらゆる人に相談し、泣きました。
私自身が、カウンセリングを受けました。
もう十分苦しんで、苦しんだ後だったから、通信制高校に転校したいと言ったとき、「いいよ。わかった。」そう言いました。
通信制高校を自分で選んで、バイトも即日で決めてきました。
でもそこでもうまくいかず、送迎したり、学校の先生から話をしてもらったり、
進級できたらこれ買ってあげるみたいなご褒美で釣ったりしながら、
だましだまし、通信制高校をもがくような思いで必死に卒業しました。
バイトは、続きませんでした。もうやめたいと1カ月ほどで言い、やめていいよと私も言ってしまいました。疲れていたのかもしれません。
違うバイトもやりましたが、やっぱり続きませんでした。
高校3年の受験期には、大学受験をしたいと言い、専門学校でいいといい、やっぱり専門学校は入学しないで浪人すると辞退し、模試をドタキャンし、予備校は1日行っただけで疲れ果て、何十万と使いました。
半年浪人した後、東京で一人暮らしをしながら通信制大学に通うんだとがんばりましたが、挫折して部屋をゴミ屋敷にして帰ってきました。
バイトもがんばってメモしたり、一人暮らしもがんばっていたようですが、精神的に危うい状態になってしまいました。
病院にも通い、薬がなくても生活できていると言われたことを真に受け、発達障害の薬を飲むのをやめてしまいました。
東京での一人暮らしには何かとお金がかかりました。息子が赤ちゃんのときから、毎月1万円ずつ、コツコツためてきた大学資金。私の母からもらった教育資金の100万。全部なくなってしまいました。
(続きます)
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