新しく未来地図のスタッフに加わった「ルルビ」さんにお話を聞いてみました。
Q1.自己紹介をお願いします。
17歳(通信制高校3年)男子の母です。
Q2.お子さんが学校に行かなくなった「きっかけ」があれば教えてください。
春に入学した私立中での部活トラブルが、きっかけです。
部活顧問の仲裁と相手側から一応の謝罪はありましたが、本人の退学意思が固く、学校対応に私たち親もそこの生徒としての息子の姿を想像できなくなり、発覚から3週間後、地元公立中に転校しました。
しかし、転校して10日後から公立中完全不登校となり、それから卒業までの約2年半、二度と学校の門をくぐることはありませんでした。
Q3.学校に行きたくないと言われた時、どう思いましたか?
朝、私立中の制服を着て靴を履き、玄関に座り込んだまま動かない息子に、
「途中でどうしてもつらかったら、帰っておいで」と言いました。
息子は、
「すぐに帰ってこれる距離じゃない」と、背中を向けたまま答えました。
―私はそんなところに息子を送り出していたのか―
終わりの見えない何かが始まると思った、息子の重いひと言でした。
Q4.当時、困ったことは、ありましたか?
完全不登校になってすぐに、離れた故郷で大きな自然災害がありました。
親を心配しつつも、息子を家に一人置いたまま実家に駆けつけることはできませんでした。
それから後も、揺れる息子と老いる親の狭間で悩み続けました。
Q5.どんな風に自分の気持ちが変化していきましたか?
気持ちに変化が生じてきたのは、息子の不登校から3か月ほど経ったころでした。
仕事中、我が家の事情を知っている上司から、
「笑顔がなくなっているよ」と指摘され、ハッと我に返ったことがありました。
それと共に、思い出したこと。
以前、東日本大震災時に中学校で被災した元校長先生の講演を聞きに行ったことがありました。そのとき私は、
「保護者が学校に備えることができる、一番大事なものは何ですか?」と、質問しました。
すると、元校長先生は、
「保護者は、まず自分の命を守ってほしい。自分の安全を確認し、それからお子さんを迎えに来てほしい」と、答えました。
上司のひと言を機に、元校長先生の言葉を反芻(はんすう)しながら、不登校という事象での息子あるいは自分のポジションを、公的機関との面談、親の会、カウンセリング、本の世界…で探しながら考え始めました。
Q6.未来地図を知ったきっかけは?
きっかけは、アメブロで未来地図代表Kunさんのブログを読んでいたことでした。
Q7.未来地図スタッフをやりたいと思ったのは、どうしてですか?
未来地図のコラムや掲示板閲覧、mirai café参加、保護者向け「不登校を考えるアンケート」等、未来地図のあらゆるプログラムでお世話になりました。
特にアンケートは、行政との折衝資料として最大限利用しました。
いつかその恩返しをしたいと思っていたので、引き受けることに迷いはありませんでした。
Q8.あの頃の自分に伝えたいことありますか?
今の私からあの頃の私へ。
「息子は、名づけたとおりに育っているよ」
――インタビューは以上です。
貴重なお話を聴かせていただき、ありがとうございました。
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